触れてしまえば、もう二度と

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「先生、おはようございます」

「おはよう……」



 いつもと変わりない朝。生徒たちが笑顔で登校している姿を見ると、普段なら清々しい気持ちになるのだが。

 矢神は、職員室に入って自分の席に着くなり、頭を抱えた。

 調子が悪い。

 最近、寝不足が続いていたから体調を崩していた。

 仕事が溜まって眠れないのとは少し違って、嫌な夢を見るから眠るのが恐かったのだ。

 教師の中でも矢神は、学校に来るのが早い方だった。職員室には数人の教師しかいない。こんな状態では生徒に示しがつかないと思いつつも、席でぼーっとしてしまう。

 今なら寝られそう。目を瞑れば、すぐに意識を失いそうだ。

 それでも次々と教師が出勤してくると、きりっと緩みがなくなるのが矢神である。



「おはようございまーす!」



 明るく元気な声で、元凶とも言える人物が職員室に入ってきた。派手な色のジャージに目が痛くなる。

 思わず、隠れるように身を縮ませた。

 その人物とは、一週間前、矢神に好きだと告白をしてきた遠野大稀である。

 女を同僚に取られたのを知られたと同時に、愛の告白を受けた。最初は遠野の冗談だと思っていたが、普段と違う彼の様子から本気だというのが感じられた。

 矢神は、相手が男という以前に告白をされるというシチュエーションに慣れていなかったため、どう対応していいか咄嗟に判断できなかった。

 動揺して口籠っていれば、遠野は抱き締めていた腕を緩めて、身体を離してくれた。そして、遠野は自分の前を歩き出す。

 矢神は何が何だかわからなかったが、とりあえず冷静になろうと思った。すると、遠野が振り返って笑顔で言ったのだ。



「気にしないでくださいね」



 その後は、何事もなかったように屋台に行き、ラーメンを食べて帰って来た。

 気にしないでくださいと言われて、その通りに普通できるものだろうか。気が付けば遠野のことばかり考えている。

 しかし、相手の方はというと、普段と何ら変わらない態度だ。意識している矢神の方がおかしく思えた。

 そもそも、自分を好きになるのが信じられなかった。

 遠野は性格が良いというか、調子よく誰とでも話せるから男女から好かれている。教師や生徒、親からも評判がいい。ルックスにスタイルもいいから、モテないわけがなかった。恋人も選び放題だろう。

 やはり冗談だったのか。

 最終的にいつも行き着くところはそこだった。



「おはようございます」



 気づけば、目の前に遠野が立っていてドキリとする。



「……おはよ」



 軽く挨拶をして、視線を俯かせた。意味もなく机の引き出しを開けてみたりして、無駄な動きをしてしまう。

 相手が普段通りなんだから、自分も普通でいないといけない。意識するな、と心の中で何度も言い聞かせた。



「相談なんですけど……」

「え、なに?」



 唐突に遠野が言い出したものだから、驚いて声が裏返りそうになった。



「生徒からこれをもらったんです」



 遠野は、何かのチケットを二枚手にしていた。



「……誘われたのか?」

「いえ、オレが行きたいって言ったら買ってくれて」

「おまえが生徒を誘ったのか!?」

「違いますよ! 人気の映画だって聞いたから個人的に行きたくて、そしたら生徒が代わりにチケットを買ってくれたんです」

「なんだ……びっくりさせるなよ……」



 遠野と喋っているとやはり頭が痛くなる。溜め息を吐きながら、こめかみを押さえた。



「で、相談って?」

「これ二枚あるんですけど、知り合いや友達がみんな都合悪くて行く相手がいないんです」

「は? だったら一人で行けばいいだろ」

「映画を一人で見に行くんですか?」

「どうしても見たかったら、オレは一人で行く」

「彼女は……あっ……」



 遠野はしまったというような顔をして、口を片手で押さえた。しばらく口を押さえたまま黙っていたが、その動作が余計に傷ついた。



「そんなこといちいちオレに相談するな!」



 腹が立ってきつい口調で言えば、一気に元気がなくなる。



「一人は寂しいです……」



 その姿は、まるで犬が耳を垂らしてしょんぼりしているように見えた。



「バカか……」



 付き合っていられないと授業の準備を始めるが、遠野は引き下がらなかった。



「矢神先生、一緒に行ってくれませんか?」

「なんでオレなんだよ」



 そのまま苛立ちをぶつけるように言えば、真剣な表情で身を乗り出してくる。



「一緒に行きたいからです」

「え……?」

「ダメですか?」



 この誘いに深い意味があるのか一瞬考えてしまう。

 断わっても良かったが、特別な思いで誘っているんだとしたら、断わるのは悪い気がした。

 矢神は遠野に特別な感情はない。恋人として付き合うということは、到底考えられないことだ。

 そんな矢神の気持ちをわかっていたから、遠野は気にしないでと言ったのだろう。

 それなら映画くらい一緒に行ってあげれば、彼の気持ちが報われるのではないか。いわゆる遠野に同情していたのだ。



「……他に行く奴いないのか?」

「はい」

「じゃあ、いいよ。映画は嫌いじゃないから」

「本当ですか?」



 ほっとしたように遠野が嬉しそうに笑ったから、釣られて笑みを浮かべそうになる。咳払いをして誤魔化した。



「いつがいいんだ?」

「今週の日曜日でもいいですか?」

「日曜か……夕方でもいいか?」

「大丈夫です。また近くなったら待ち合わせ場所とか決めましょうね」



 遠野の言い方のせいか、デートの約束をしているようで嫌だった。だが、喜んでいるから気にしないでおくことにした。










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