好き、これからも友だち01

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好き、これからも友だち01

 春の日差しが降り注ぐ学校の中庭に、楽しそうな笑い声が響き渡っていた。そんな笑い声に合わせるようにして、暖かい風が芝生を吹き抜ける。
 その場所で、仲谷なかたに皇祐こうすけは一人、お弁当を食べていた。
 高校入学してから、一ヶ月が経とうとしている。クラスの中でも、気の合う同士が集まったグループのようなものが出来上がっていく頃だ。
 皇祐も、入学式に新入生代表として挨拶をしたおかげもあって、クラスのみんなに声をかけられた。毎日、机の周りに人が集まってくるのだ。
 裕福な家庭で育っていた皇祐は、中学の頃にはそのイメージが大きく印象づいていた。高校でも、それを知っている人が話題に出すものだから、余計に好奇心が煽られ、あらゆることをみんな聞いてくる。
 家のことは、あまり触れられたくないことだった。だけど、切り抜ける方法がわからなかった。どちらかというと人と会話するのは苦手で、うまく話せる自信がない。
 皇祐は、その場をやり過ごすように曖昧に答えた。そして、これ以上質問攻めにあいたくなかったから、回避するために、みんなから距離を置くようにした。
 そのうち、飽きたのか、周りに人が集まることはなくなった。用がない限り、話しかけられることもない。
 代わりに、感じが悪いだの、お高くとまっているなどと、かげ口を叩かれた。そして、皇祐はクラスで浮いた存在になり、孤立していった。
 それで良かったと思っていた。
 人と一緒にいるのは、わずらわしい。
 そう感じていたから、一人でいることが楽だった。
 勉学に励むために学校に来ているのだから、他には何も必要のないこと。
 父親にも、そう厳しく教えられていた。







 家のことは、使用人がほとんどやってくれる。掃除、洗濯、食事の用意など全てだ。仕事でほとんど家に帰ってこない親の代わりでもあった。
 その使用人が、ある日突然辞めてしまう。父親と合わなかったのだ。
 家にいることが少ない父親だから、使用人と関わることは滅多にない。だけど、その日は父親が家に一日中いたらしく、なぜか使用人と言い争いになったという。皇祐が学校から帰ってきた時には、使用人が家を飛び出していなくなったあとだった。
 よくあることだから、驚きはしないのだが、次の使用人が決まるまでが不便になる。家のことは全て任せているから、自分で何かするのは困難なのだ。
 辞めてしまった使用人に、思い入れはなかった。親の代わりでもあったが、短期間で辞める人ばかりで、心を開く前にいなくなってしまうのだ。だから、寂しいという感情は生まれない。
 しかし、翌日の昼に、皇祐は悲惨な目に合うのだった。
 いつもお弁当は使用人が作ってくれる。だが、辞めてしまった以上、それまでは自分でどうにかしないといけない。
 学校には、購買部がある。そこで昼食を買おうと思ったのだが、購買部の前まで来て、皇祐は途方に暮れた。
「……これって、買えるのか?」
 昼休みの鐘が鳴ったと同時に、みんな即座に購買部に急ぐ。中には、授業が終わる前に、教師の目を盗んで抜け出す人もいた。
 そんな人たちを不思議に思っていたが、いざ自分が当事者になればわかる。ゆっくりとした足取りで購買部に向かったのが間違いだった。既に人だかりができていて、ものを選ぶのも厳しいように思えた。
 だが、躊躇している余裕はない。昼休みの時間は限られているのだ。早くお昼を買って、次の授業が始まる前に食べてしまわないといけない。
 皇祐は、その人だかりの中に足を進めてみることにした。
 何とか中には入ることはできたが、今度は人に押されて、身動きが取れなくなった。前に進むことも、後に戻ることもできない。
 高校生男子の平均身長よりもだいぶ低い皇祐は、体型も細身で小柄だった。だから、すぐに人混みに飲まれてしまうのだ。
 たくさんの人がぶつかり合い、押し潰されそうになっていた皇祐が、人と人の隙間を見つけて、どうにか手を伸ばした。何でもいいから、指に触れたものを掴んでみる。
 棚にあった袋に入ったパンらしきものが、二袋も手にすることができた。それを大事そうに胸に抱き、店員にお金を払って、地獄のような場所からようやく脱出する。
 ほっと息をついた皇祐の姿は、制服だけじゃなく髪も乱れていて、ひどいありさまだ。学生らしく短い髪型ではあったが、前髪だけは少し長めで、こだわりを持っていた。
 父親には、短髪でいることを言いつけられているから、見つからないようにするのが大変だった。
「明日は、学校来る前に買ってこよう……」
 そう心に決めて中庭に向かおうとしたら、大声を上げて騒いでいるのが聞こえてきた。何ごとかと思って声のする方に視線を移せば、男が購買部の店員と何やら揉めているようだ。
「おばちゃん、オレの分、取っておいてって言ったじゃん」
 彼は小此木おこのぎ敦貴あつき、皇祐のクラスメートだ。喋ったことはないが、身体が大きく、どこにいても目に入ってくるから、印象に残っていた。
「はい、はい、ごめんねー」
 忙しそうにしていた店員は、頷きながらも、彼の話を聞き流しているように見えた。その様子が気に入らなかったようで、さらに食って掛かる。
「ねー、ちょっと聞いてるの? スーパーおいしいまるごといちごバナナパン、さっきまでここにあったよね? オレ、見たんだから!」
 随分と長い名前のパンだ。よく覚えていられるな、と皇祐は感心した。勉強のことなら記憶していられる自信はあったが、パンの名前は怪しいところだ。
 店員は、怒っている彼にたくさんのパンを渡し、言いくるめようとしている。それでも、彼は納得がいかないようだ。
 いつの間にか、彼の行動から目が離せなくなっていた。危なっかしくて、放っておけなくなる。
 でも、構っていられる時間はなかった。こうしている間にも、昼休みの時間は削られていく。
 皇祐は、パンを握りしめてそこから離れようとした。不意に、自分の手にしていたパンの袋が目に入った。そこには、『超おいしい!まるごといちご&バナナロールパン』と書かれている。
「あっ……」
 思わず、足を止めた。彼が言っている名前とは若干違うような気もしたが、似たようなパンが他に存在するとも思えなかった。
 彼の方を振り返ってみると、周りで友だちが宥める中、悔しそうに地団駄を踏んでいる。まるで癇癪を起こした子どものようだったが、少しかわいそうに思えた。
 このパンは、皇祐にとってはどこにでもあるパンと同じ価値しかない。だが、彼にしたら特別なものなのだろう。
 皇祐は、ゆっくりと彼に近づいて、声をかけてみた。
「あの」
 傍に寄ると、思っていたよりも体格がいいことに気づく。
「あ?」
 相当機嫌が悪いのだろう。皇祐に向けた瞳は鋭く、口は曲げられていた。顎までの長さの黒髪が、さらりと揺れる。前髪は鼻にかかっていて、普通なら鬱陶しく見えるのに、手入れが行き届いているのか清潔感が溢れていた。だけど、制服のネクタイは緩めていて、着崩している。
「なーに? なんか用?」
 不満げな様子が、彼の声から伝わってきた。
「これ、僕が君のパンを間違って買ってしまったようだ」
 パンの袋を差し出すと、彼は急に表情を和らげた。
「あ! オレの欲しかったパン!」
 皇祐が彼に手渡すと、満面の笑みで喜びを表す。
「すげー、本物だー、うわー」
 パンの袋を空に掲げて、目を輝かせていた。さっきまでの機嫌の悪さはどこに行ったのか、おもちゃを買ってもらった子どものようにはしゃぎ回る。
 やはり、彼の中では余程価値のあるもののようだ。思い切って声をかけて良かったと心から思った。
「悪かったな。じゃあ、確かに渡したから」
「え? ちょっと……」
 彼は何か言いかけていたが、これ以上、関わりたくなかったから、足早にその場を去った。
 自販機でパックの牛乳を買い、中庭のいつものベンチに座った。時間を確認して、がっくりと肩を落とす。昼休みがほとんど失われていた。
「何だか、疲れた……」
 とりあえず腹ごしらえをしようと、パンの袋を見て、更に落ち込むことになる。
 もう一つ手にしていたパンは、レーズンパンだった。よりにもよって、なぜこれを選んだのかと自分を責めたくなる。皇祐は、レーズンが苦手だった。
 昼からも授業があるから、昼食を取らないわけにもいかない。レーズンを取り除くということも考えたが、それを捨てるのも忍びなかった。仕方がないので、牛乳で流し込むようにしてレーズンパンを腹に入れた。
 途中、涙目になりながら、やっとの思いで食べ終えた頃、なぜか小此木敦貴が現れる。
「あー、いた、いたー」
 皇祐の姿に気づいた途端、小走りで近づいてきた。
 パンを間違って買ったことに、文句でも言われるのだろうか、と不安が頭を過ぎった。身構えていれば、突如、腕を掴まれる。
「パンのお金、払ってなかったから」
 手のひらを上に向けさせられ、そこに小銭を無造作に置いた。
「……良かったのに」
「ダメだよ、こういうのはちゃんとしないと」
 そう言いながら、隣にどっかり座った。
 もう用は済んだはずなのに、なぜ居すわるのか。意味がわからなかった。彼から少し離れるため、気づかれないように身体を横にずらしてみる。
 彼の腕には、透明の大きなビニール袋が下げられていた。中にはたくさんのパンが入っているようだ。その中から、さきほどのパンを取り出す。いかにも嬉しそうに、口元には笑みを浮かべていた。
「ねえ、いっつも、ここで食べてるの?」
 急にこちらを向いたので、うろたえそうになった。反射的に顔を反らして、返事をする。
「うん……」
「ここ、気持ちいいもんね。でも、雨の日はどうするの?」
「……雨の日は、教室で食べるよ」
「ふーん」
 聞いてきたのは彼なのに、あまり興味がないようだった。彼の視線は、パンの方に戻っている。勢いよく袋を開けたら、こちらまでイチゴの香りが漂ってきた。
「わぁ、おいしそうだー。いただきまーす」
 大きな口をあけて、ぱくりとパンを頬張った。満足そうに目を細め、唇にクリームがついているのも気づかないらしく、夢中でパンにかじりついている。
「やっべー、これすげーウマい」
 美味しそうに食べるその姿を見ているだけで、何だか幸せな、暖かい気持ちにさせられた。
「そんなに、おいしいのか?」
 話しかけるつもりはなかったのに、つい声をかけてしまった。食べるのが早いから、もうパンは彼の腹の中だ。
 皇祐の方を向いた彼は、困った顔をする。
「もしかして、食べたかったの?」
「いや、僕はいらないけど」
「なーんだ、びっくりした。これ人気だから、狙ってる奴多くてさ。オレ、これが食べたくてこの学校に入ったから、もう思い残すことないなー」
 彼の発言に、皇祐は衝撃を受ける。
「え? それって、ここじゃないと食べられないものなのか?」
「似たようなパンはいっぱいあるけど、これはイチゴもバナナも新鮮なものを使ってるし、クリームもこだわってるから全然違うんだって。それに、このパンの生地のやわらかさは絶妙だよ。しっとりしてさー」
「……そう、なんだ」
 興奮して熱く語る彼に、圧倒された。だけど、ここまで喜んでくれるのなら、パンを作った人もきっと嬉しいに違いない。何の思い入れがない皇祐が食べるよりも、求めている彼が食べてくれて、本当に良かったのだ。
 それにしても、彼はなぜ、ここに居続けるのか。既に昼を食べ終わっていた皇祐は、手持ち無沙汰で困っていた。
 いつもなら、食事が終わると本を読んで、休み時間を満喫するのだが。
 彼の方は、そんな皇祐の思いも知らずに、三袋目のパンを幸せそうに食べている。
 いい加減うんざりして、小さくため息をついた。
「そうだ、知ってる? 駅に向かう途中にでっかい豪華な歯医者あるの」
「……歯医者? いや、気づかなかったけど……」
 唐突な話題に戸惑っていた。虫歯でもあるのだろうかと頭を捻る。
「その隣にラーメン屋ができたんだけど、今日オープンするんだって」
「……詳しいな」
「オレもさっき聞いたんだ。学生は百円で食べられるの。すごくない?」
「百円……、それは安い」
 この世の中に、百円で食事ができるところがあるなんて知らなかったから、本当に驚いたという声を出していた。
「でしょ!」
 得意げな顔をする彼が、微笑ましく感じた。食べることに関して、特別な思いを持っているようだ。
 食に執着しない皇祐にとっては、不思議な感覚だった。
 今度は、おにぎりを口いっぱいに入れ、頬を膨らませて食べている。
 頭の中に、動物のリスが浮かんだ。こんな大きなリスがいるはずないのに、似ていると感じたのだ。いつの間にか、彼の食べる姿に目を奪われていた。はっと我に返り、首をふるふると振った。
 彼が喋らない時は、静かな時間が流れた。その沈黙が落ち着かなくて、居心地が悪い。
 何か話さないといけないとわかっていても、何も浮かばない。彼との共通な話題が、自分にあるとは思えなかった。
 やっぱり、彼がここに居る理由が見つからない。苦しくて、重いものが心にのしかかってくるようだった。
 皇祐は、自分の腕時計の時間を確認し、ベンチから立ち上がる。
「もう戻るよ」
「え? まだ時間あるよ?」
 二個目のおにぎりを手に持ちながら、驚きの表情を見せた。
「次の授業の予習をしたいんだ」
「すっげー」
 顔を上げた彼は、目をぱちくりさせて、おにぎりをぱくっとくわえた。
「じゃあ」
 彼から逃げるように、その場を後にした。
 心休まる昼の時間が、一気に沈んだ気分で終わってしまったのだった。




二話に続きます。

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