触れてしまえば、もう二度と
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「それにしても広い部屋ですね。2LDKですか? きちんと片付いているし、ゴミとか汚れとかほとんどないですよ。どうしよう、オレ、すぐ汚しちゃいそうです。いつもこんなにきれいにしてるんですか?」
トイレからバスルーム、キッチンやリビングなど一通り眺めながら、遠野がはしゃぐような声を上げた。
矢神は普段から部屋を散らかす方ではないが、ここまで大袈裟な程に言われると居たたまれなくなる。
「おまえが来るから掃除して、ちょっと片付けただけだよ。きれいに見えるのは新しいからだろ」
この部屋を契約したのは一年前。気に入ったのは、前の彼女だった。
デートの帰りにたまたま冷やかしで寄っただけだったのに、彼女はかなり乗り気で矢神は内心焦った。一人で住むには広すぎるし、毎月の家賃だって払えるかどうか不安だった。
だけど、「こんなキッチンだったら毎日ごはん作りたい」なんて可愛く言うもんだから、思わず契約してしまったのだ。
将来一緒に住めばいいとかノンキなことを考えていたあの頃の自分を罵倒したい。
矢神はそう本気で思っていた。
別れたと同時に解約しても良かったが、賃貸契約期間は二年。あと一年の我慢だった。
「遠野の部屋は左側な。荷物運んであるから、好きに使っていいよ」
「ありがとうございます」
自分の部屋を見るなり、遠野はまた高らかな声を上げた。
「こんな広い部屋を貸していただけるんですか?」
どれだけ狭い部屋に住んでいたのだろうかと不安になった。
そして部屋に積まれたダンボールの山に、自分のことじゃないのにため息が出そうになる。
「荷物片付けるの手伝おうか」
「いいんですか? お願いします」
二人でダンボールの箱を次々と開けて行き、中のものを出していく。
「ベッドは置くのか? 狭くなるかもな」
「あ、オレ、布団派です」
「あっそ」
今までの経験上予想はしていたが、ここまで日本男児だと素晴らしく思えてくる。
あとは何だろう。まさかフンドシを愛用しているとかだろうか。
思わず想像して吹き出しそうになった。
「どうかしました?」
おかしな想像しているのを危なく気づかれそうになり、慌てて話を逸らす。
「いや、おまえ、荷物少ないなと思って。オレが言ったから減らしてきたのか?」
「元々少ないんです。家具とかは寮に備え付けてあったのでそれを使ってました」
「ジャージが一番多いんじゃないか。それにしても派手だな。脚、長っ!」
遠野のジャージを自分の身体に合わせてみると、その大きさがよくわかる。羨ましい限りだった。
「おまえ、身長どのくらいあるんだ?」
「一八〇くらいでしょうか。最近また伸びたんですよね」
「そうなんだ……」
自分で聞いておいて軽く凹みそうになる。
「矢神さんはどのくらいですか?」
「オレに身長を聞くな! 最近の生徒はデカイ奴ばかりだからホント嫌になるよ」
遠野の大きなジャージを眺めながら、矢神は大きなため息を吐いた。
既に成長が止まってしまったからどうにもならないのだが、せめて一七〇は欲しかったと暗い気持ちになってしまう。
「矢神さんってバランスがいいですよ」
気遣いなのか、遠野がそんなことを言い出す。
「どこがだよ」
「オレは手足が長いから気持ち悪いです」
矢神に見せるように遠野は両腕を水平に伸ばした。気持ち悪いとは思わないが、両腕を伸ばしたせいかいつもより身体が大きく見える。
「モデルみたいだって言われるだろ?」
皆からそう思われているだろうから言ってみただけだったが、矢神のセリフに遠野の表情がぱっと明るくなった。かなり嬉しそうだ。
「矢神さんに褒められると照れますね」
「……褒めてないけど」
自己流に解釈する遠野のポジティブ脳に呆れてしまう。だが、このくらいポジティブだと人生楽しいだろうなあ、と何本ものジャージをダンボールから出しながら矢神はぼんやりと考えていた。
「そうだ。矢神さんにプレゼントがあるんですよ」
「え、マジで?」
遠野のプレゼントという言葉に嬉しくなり、弾んだ声を上げてしまった。
「はい、これからお世話になるので。よろしくお願いします」
遠野から手渡されたそれは、キレイな包み紙に包まれ、真っ赤なリボンまでもがついている。
「何か気を遣わせて悪かったな。開けてもいいか?」
「どうぞ」
微笑む遠野に釣られて矢神も笑みが零れた。
せっかくもらったプレゼントだったから、包み紙が破れないように慎重に開いていく。中のものを取り出して広げると、それはパジャマだった。
「水玉……?」
「違います、マカロンです。可愛いですよね。オレとおそろいですよ」
遠野が自分の分のパジャマを広げた。たった今、矢神がもらったパジャマと色違いのマカロン柄のパジャマである。遠野は白地、矢神のは紫でかなり派手だ。
「はあ……」
思わずお礼を言うのも忘れるぐらい、そのパジャマから目が離せなくなる。
「あと、マグカップや茶碗も同じ柄があったのでペアで買ってきました」
「わざわざ買ってこなくても良かったのに。カップとかはオレの家にあるんだぞ。金を使うな」
「そうなんですけど、何か買い物してたら嬉しくなっちゃって」
「そんなんじゃ金貯まらないだろ。極力、オレの家のものを使え」
「楽しいですよね、同棲って」
矢神の話を流すように遠野がさらっと言ったから、重要な部分を聞き逃しそうになった。
「……今、何て?」
「え? 同棲って楽しいなあって」
とびっきりの笑顔で本当に嬉しそうな声で言った。矢神は思わずその場で立ち上がり、遠野を指差して叫ぶ。
「おまっ……、同棲じゃねえ! 同居だ、おまえは居候だよ!」
「たいして変わらないじゃないですか」
矢神が言った意味を理解してないようで、遠野は無邪気に笑った。
「変わるよ! 全く違うだろ! 他でおかしなこと言うなよ!」
「わかりました。同棲は内緒ですね」
「内緒じゃない! いや、同棲じゃ……ああ、もういいよ……」
矢神の言葉にぽかんとしている姿を見て、何を言っても無駄だということに気づく。
遠野の発言にダメージを食らい、フラフラになりながら矢神は部屋を後にした。
今の状況は、遠野からすれば同棲になるのだろう。改めて遠野が自分のことを好きだということを自覚する。
いくら問題を起こすかもしれないからといって、学校のため、生徒のために、自ら犠牲にならなくても良かったのではないだろうか。
誰から頼まれたわけでもない。何が起こっても仕方がないことだ。
ふと、この先のことを想像して背筋が寒くなった。今更、出て行けとも言えるわけがない。
「オレ、選択間違えたかもしれない……」
矢神が廊下で項垂れていると、足元で猫のペルシャが励ますように一鳴きしたのだった。
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