触れてしまえば、もう二度と

プロローグ

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 学校から出た矢神は、夕飯をどうするかと考えていた。

 あまり食欲がなかったから、まっすぐ自宅に帰っても良かったのだが、なぜか家に帰る気分にはなれなかった。

 一人暮らしで、家で誰かが待っているわけでもない。

 寂しく一人で家にいるのは、今の自分には堪えられそうになかった。

 やはり遠野の誘いに乗れば良かっただろうかと、後になって落ち込む彼の顔が思い出された。



「何か、主人に怒られた犬みたいだったな……」



 そんなことを考えていれば、小さなお店のある看板が目に入った。本日リニューアルオープンと書かれている。

 外にあるメニューを見たところ、カフェバーという感じだ。

 矢神は酒に弱い。少しのアルコールでも酔っ払ってしまうため、教員の飲み会でも付き合い程度に飲むくらいだった。

 しかし、今は酒に酔って何もかも忘れてしまいたいという気持ちの方が強かった。

 そんなことを考えてしまうのは、余程まいっているせいだろう。

 矢神は誘われるかのように、その店の扉を開けた。

 お酒を飲まないということもあり、一人でこんなところに入るのは初めてだったから少し緊張していた。

 店内には数名のお客がいる。照明は若干暗めに感じたが、ジャズが流れ、落ち着いた雰囲気に好印象を持った。

 辺りを気にしながらカウンターに座ると、マスターらしき人物がいらっしゃいませと微笑む。

 そのマスターは、自分と同じくらいの年齢に見えた。お店の雰囲気と同じく、感じのいい人というのが伝わってくる。

 マスターの隣には、未成年とも思えるような若い店員が立っていて、その店員が矢神におしぼりを手渡してきた。



「あ、どうも……」



 やはり慣れないせいか、矢神は視線を宙に漂わせたり、手持無沙汰におしぼりを握り締めたりしていた。

 すると、痺れを切らしたように目の前にいた若い店員が注文を聞いてくる。



「ご注文は?」

「あ、えっと……少し強めのお酒をもらえますか?」



 お酒の名前はよくわからなかったから、お任せということでそう言った。

 強い酒で早く酔っ払って、何もかも忘れたかったのだ。

 だが、これが誤算だったのは、後になって知ることになる。















「矢神さん、お水飲みますか?」



 スーツの上着を脱がされ、ベッドに横たわる矢神の傍で、男が心配そうに声を掛けた。

 酔っ払っているせいか、矢神の意識はほとんどないようだ。問いかけに対して、返事の代わりに唸るような声を上げるだけ。それ以上答えは返ってこない。

 男は矢神の黒髪に指を差し込み、堪能するようにゆっくりと髪に触れた。そして、嬉しそうにくすくすと笑い出す。



「無防備すぎますよ」



 矢神の返事どころか、身体を動かす様子もなかった。

 静かな寝息だけが聞こえる。既に意識が飛んでいるようだった。

 やがて男は、ベッドの上へ静かに乗った。

 意識がないことを確認するかのように矢神の顔を覗く。

 そして、二人の身体がゆっくりと重なるのだった。




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