アイドル天使 ユキ*ハル * 番外編 *
ずっと傍にいられるって信じてた <2>
朝、スタジオに行くと、倖弥の顔を見るなり、バンドのメンバーが気まずい雰囲気を醸し出した。
「……何か、あったの?」
真っ先に答えたのは、ギターを担当しているトシだった。慌てるように倖弥の元に駆け寄ってくる。
「ユキちゃん、聖二がおかしくなったよ」
「おかしい?」
首を傾げていれば、トシが興奮するように話を続ける。
「結婚するって言うんだよ。あの聖二が! 束縛されるのあんなに嫌いなのに。オレたちのことからかってるのかな」
内容を聞いて、メンバーの様子がおかしいことに納得がいった。小さくため息を吐いて、倖弥は答える。
「僕も聞いた……本当みたいだよ」
「ユキちゃん……」
倖弥の言葉に何か言いたげな顔をしたまま、トシは口を噤んだ。
マネージャーを始め、メンバーには、自分がゲイだということを告げていた。そして、聖二との関係も知られている。
だからなのだろう。メンバーが深刻そうな顔をしているのは。本来なら、聖二の結婚は祝い事で喜ぶべきところなのに、倖弥のことを心配しているのだ。
「レコーディング始めるぞ」
そこにやってきたのは、まさに今、話題に上っている聖二だった。メンバーの心境などお構いなしで、準備を始める。
「聖二、本気なの?」
突然、聖二の前に立ちはだかるようにトシが身を乗り出した。
「内容によっては、聖二のこと許さないよ」
きっぱり言ったトシは、すごく男らしく頼もしかった。しかし、聖二から冷たい視線を浴びせられる。
「何が許さないだ? おまえ、新曲、早く覚えろよ。この間のライブみたいにヘマばかりしたら、ただでおかないからな」
「……うっ」
何も言い返せなくなったトシは、すごすごと倖弥の元に戻ってくる。
「ごめん、ユキちゃん。聖二に何か言ってやろうと思ったのに……」
「ありがとう、トシくん」
「でもさ、ひどいと思わない? 聖二ってオレばっかり目の敵にして」
「トシくんに期待してるからだよ」
途中から論点が狂い出したようにも思えたが、あまりにも悄然とした声を出すから、倖弥の方がトシを元気づけようと必死になった。すると、背中をぽんと叩かれる。
「いくぞ」
それは、ドラムの俊平だった。彼は、普段から口数が少なく、メンバーのやり取り黙って見ていることが多い。だがその行為は、倖弥を励ましているように思えた。
「俊平も、そう思わない? 聖二ってひどいよね」
今度は俊平も巻き込んで、泣き言を言うトシ。俊平は、トシの方を向いて、真顔のまま口を開く。
「トシが悪い」
即座に切り捨てられるのだった。
「昔から思ってたけど、聖二も俊平もオレに冷たいよね。何なの! ユキちゃんだけだよ、優しいのは」
トシは、倖弥に甘えるように後ろから抱きついてきて、すりすりと猫のように身体をすり寄せてきた。
「みんな、トシくんのこと思って言ってるだけだよ」
よしよしと頭を撫でてやっていれば、珍しく俊平が二人の話に入ってくる。
「トシは、くだらないことで騒ぎ過ぎだ。ユキを見習え」
俊平の言葉に、トシは急に表情を強張らせた。
「……そう、だよね」
倖弥に抱きついたまま、申し訳なさそうにしゅんとする。
二人に気遣われていた。この場の雰囲気を悪くしているのは、自分のせいなのだと自覚する。
「おまえら、早くしろ! ツアー終わって気が緩んでるんじゃないのか」
スタジオ内に聖二の怒鳴り声が響き渡った。ちょうどスタジオに入ってきたマネージャーの金井が、思わずドアを閉めて戻ってしまうくらいだ。聖二の機嫌が悪いと、些細なことで小言を言われる。特に金井とトシは、その槍玉に挙げられることが多かった。
今、聖二の機嫌が悪い原因は、自分なのだと倖弥は感じていた。
聖二が結婚を報告したことにより、メンバーは倖弥を気遣うようになった。よそよそしく腫れ物に触るような態度で、雰囲気も当然悪くなってしまう。それが、彼を苛立たせる。いつもと変わらないように接しているつもりでも、聖二は瞬時に気づくのだ。
「聖二」
倖弥は、聖二の傍へと足を進めた。倖弥の呼びかけに顔を上げたが、すぐ手にしていたベースに視線を落とす。
「早く準備しろ」
彼の苛々が、こちらまで伝わってきた。怯んでしまって、一瞬迷ったが、改めて決意する。
「きちんと言ってなかったから」
聖二は再び顔を上げて、不愉快そうに眉をひそめた。
「何を?」
「結婚、おめでとう」
倖弥のその言葉に、聖二が目を見開いた。
たぶん自分が言わない限り、他のメンバーは誰も口にしない。そんな気がしたから、早く伝えようと思った。
出来る限り平常心を装ったつもりだった。声は震えていなかっただろうか。
そんなことを考えている間、倖弥の後を追うようにトシが駆け寄ってくる。
「聖二、結婚おめでとう!」
浮かれ騒ぐようにそう言って、なぜか倖弥の肩を抱いた。俊平は、通りすがりに「おめでとう」とぼそっと呟き、自分の定位置につく。
「何なんだ、おまえら。まだ結婚してねーよ」
「そっか。聖二のことだから破談になるかもしれないもんね」
調子に乗ったトシがそんなことを言えば、聖二は意地悪そうに口角を上げてニッと笑う。
「トシ、おまえいい度胸してるな。今日の演奏が楽しみだ」
「それ、悪巧みしてる時の顔だよ。助けて、ユキちゃん」
トシは、聖二から隠れるように倖弥を盾にした。その瞬間、倖弥の顔から自然と笑みが零れる。
正直なところ、聖二の前で笑えるか不安だったからホッとしていた。
これも全てメンバーのおかげだ。信頼できる仲間が傍にいるだけで、辛いことも乗り越えていける。こんな恵まれた環境にいられる自分は幸運なのだ。
倖弥は、そう実感していた。
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