好き、絶対にありえない 03
敦貴と別れて、プラスチックカプセルがたくさん入ったビニール袋を持ちながら、潤一は帰路を歩いていた。
何だか無性に、人恋しくなる。
こんな風に思うのは、あまりないことなのだが、敦貴に言われたことが気になっているのだろうか。
携帯電話を取り出し、誰かに連絡を取ろうと思った時だった。
前から、好みのタイプの
女性が歩いてくる。
久しぶりに自分から声をかけてみようかと構えていれば、近づくにつれて、その人物が、リオだということに気がついた。しかも隣には、存在が薄そうな、身長の低い冴えない男がいる。リオは、嬉しそうな笑みを浮かべて、その男と楽しそうに話をしていた。
リオの恋人でないことは、すぐにわかった。きっと、店の客だろう。そう直感した。
立ち止まっていた潤一の目の前に二人はやってきて、リオも潤一の存在に気づく。その瞬間、リオの顔から笑顔が消えた。
道端で二人は睨み合うものだから、リオと一緒にいた男は不安そうに声をかける。
「リオさん、あの、お知り合い、ですか?」
「あら、ごめんなさい。こんな男、知らないから気にしないで」
「でも……」
潤一が、リオだけじゃなく男の方にも視線を向けたせいで、おどおどと怯えている。
「無視すれば、いいのよ。ねえ、それよりも早くしたいわ。行きましょう」
相手の男の耳元に唇を近づけ、リオは甘く囁く。それは、潤一にも聞こえていた。
最後に冷たい視線を投げられ、リオは男と立ち去る。潤一の中に、苛立ちが湧きあがっていた。
どう考えても、相手の男よりも潤一の方がいい男だ。それがわかっていたから、リオが自分に見向きもしないことに腹を立てた。プライドを傷つけられたような気がしたのだ。
この怒りをどこにぶつければいいのか、潤一はわからない。気づいた時には、リオの腕を掴んでいた。
「何なの? 放しなさいよ!」
怒鳴る声も、潤一を睨みつける、その瞳さえも色っぽいと感じた。
たぶん、何も考えていなかった。だから、どうして自分がそんな行動を取ったのか、理由は述べられない。
掴んでいた腕を自分の方に強く引き寄せた潤一は、次の瞬間、リオの唇に自分の唇を重ねていたのだ。
薄い唇なのに、すごく柔らかい。初めて感じるような気持ちのいいキスだった。あまりにも心地良い感覚に、調子に乗って舌を割り入れようとしたら、勢いよく胸を押されて、二人の唇は離れた。
惜しい。そう思いながら、舌舐めずりをしてしまう。
リオは、怒りで顔を真っ赤にしていた。たぶん、ビンタを食らう。女性を怒らせたときは、いつもこのパターンだ。
そう予想して身構えていたら、思いっきり拳が頬に飛んできた。それは、男の力だ。かなりの衝撃で、潤一は道端に打っ倒れる。
「金も払わないで、アタシに触るんじゃないわよ! ゲス野郎!」
通行人が何ごとかと思って、辺りでざわめく。
「り、リオさん……」
一緒にいた男が、震えた声を出したのが聞こえた。
「大丈夫よ。行きましょう」
「はい……」
しっかりとその男の手を握り、リオは行ってしまう。
しばらくの間、ざわざわとしていた通行人も痴話喧嘩と思ったのか、すぐに興味なさそうに散っていく。リオが男だなんて誰も思っていないのだろう。女性が男性を殴ったとしても、そんなに騒ぎ立てないのだ。
ゆっくりと身体を起こし、殴られた頬を擦った。女性の力でないことは、潤一にしかわからない。
「オレのきれいな顔を殴るなんて……最悪だ」
苛々が治まらなかった。それは、リオに対してではなかった。なぜ、男性であるリオに自ら口づけをしたのか、自分のことが理解できなかったからだ。
「くっそ……」
頭を掻きむしりながら、何とか苛立ちを押さえようと必死だった。
そこに、潤一の携帯電話が鳴る。画面を見れば、それはセフレの女性のうちの一人の名前が表示されていた。
彼女は、ベッドで濃厚に奉仕してくれるから気に入っている。こんな時は、慰めてもらうのが一番いい。
鳴っている電話を眺めながら、潤一は唇を噛んだ。口の中には、血の味が広がっていた。
痛む頬の原因はリオだ。彼は凶暴な男で、腹が立つ相手。
そんなリオの姿が、どうしても頭から離れず、鳴っている電話に出ることはできなかったのだ。
*
潤一の頬の腫れが引いた頃に、再びリオと会うことになった。
敦貴と恋人の皇祐が、北海道に旅立つため、空港に見送りに行った時だ。
皇祐の見送りには、リオとその友人が来ていた。
リオは潤一の姿が視界に入ったからなのか、チッと舌打ちしたのがわかった。
また殴られても困るため、潤一はなるべく近づかないようにしていたが、リオの方もまた何かされるのではないかと警戒していたようで、一人、皆から離れた位置で待機していた。
そのことを不思議に思った皇祐が指摘すれば、リオは怒りを露わにした。
「気にしないで。アタシ、その男の傍に寄りたくないのよ。でも、コウの見送りだから我慢してるの」
リオの言葉に対して、敦貴が潤一を指差しながら大声を出して笑う。
「潤ちゃん、珍しいね、人に嫌われるなんて」
「敦貴、勘違いしたら困るなあ。オレは、女性にはモテるんだよ。こんな凶暴な男に好かれても、こっちが困る」
呆れるように言えば、きっと睨んできたリオが言い返してくる。
「こいつを好きになる人たちが信じられないわ。うわべだけの気持ちがこもっていない軽薄男ってだけじゃない」
「オレの魅力がわからないなんて、不幸な人間だ」
「一生わからなくていいわ」
リオが相手だと、どうしても言い合いになってしまう。嫌な言葉が次々と出てきて自分でも胸糞悪くなった。
終始ツンケンした態度のリオだったが、友人の皇祐とのお別れの時間が迫ってくると、状況が変わる。
悲しくなったのか、皇祐に近づき、ぼろぼろと涙を零し始めたのだ。
「コウ……、元気でね……」
皇祐に触れながら、最後のひと時を友人と存分に味わっている。だが、次第にリオは、泣き崩れそうなほど声を上げて泣き始めた。
まるで恋人との別れのようだった。
そんなリオを皇祐が慰めていると、敦貴が潤一のところにやってくる。
「潤ちゃん、ごめんね」
急に謝られて、思わず笑ってしまった。
「なんで、謝るんだ?」
「だって、オレいないとラーメン屋、困るでしょ?」
「そうだな。店よりも、オレ自身が寂しいかな」
本音を言えば、敦貴は、ものすごく驚いた顔をする。
「え? 嘘でしょ? 女の人いっぱいいるじゃん」
「そういうことじゃないよ。まだ教えてないことたくさんあったなあって」
「うん……オレも、潤ちゃんに、もっと教えてもらいたかった」
「でも、アツキなら大丈夫だ。コウスケくんと幸せにな」
自分より背の高い敦貴の頭を撫でてやれば、涙ぐみながら笑う。
「潤ちゃんも、いい人見つけてね」
その後、敦貴は皇祐と共に、仲睦まじく旅立ったのだった。
二人と別れた後も、リオは椅子に座って泣いていた。よほど悲しいようで、両手で顔を覆い、息をつまらせるほど激しく泣いている。
さきほどまでは、潤一に対して、ひどい言葉を吐いていたが、こうも泣きじゃくると涙に弱い潤一は胸が痛んだ。
そっと、リオのそばに寄った。
どう慰めの言葉をかければいいのか思い浮かばず、しばらく立ち尽くしていたが、何とか言葉を探す。
「ハンカチ、使う?」
そう言って、ポケットからハンカチを取って、差し出せば、鼻まで真っ赤にしたリオが顔を上げた。
「テル……アンタって優し……」
潤一の姿を確認した途端、ハンカチを受け取ったリオは、思いっきりそれを地面に叩きつけた。
「おまえ、オレのハンカチを投げ捨てるなよ!」
「アンタのハンカチなんか使うわけないでしょ!」
涙を手で拭い、怒りの滲んだ瞳を向けられた。
「なんだよ、可哀想だから声かけてやったのに」
「頼んでないわ! アタシに近寄らないで」
すっかり涙が引っ込んでいるリオは、すくっとその場を立ち上がり、フンと鼻を鳴らし、ズンズンと歩いていく。
途中、一緒にいた友人がリオに駆け寄ってきて、「またケンカしてるんですか?」と言われていた。
潤一は、その後ろ姿を見ながら頭をガシガシ掻いた。
――どうも、うまくいかない。
つい、大きなため息を吐いてしまう。
初めて会った時に印象を悪くし、さらには無理矢理、口付けをするという最悪な状態なのだ。
ちょっとやそっとじゃ、関係は修復しないだろう。
何とか、そのことを謝ろうと思っても、相手が喧嘩を売ってくるから、こちらも冷静でいられなくなる。
やはり、性格が合わないのかもしれない。
もう会うこともないだろうし、関わることはない。
それなのに、どうしてこんなに気持ちが晴れないのだろうか。