好き、絶対にありえない 01
好みのタイプに出会った。
その時、
葉室潤一は、運命だと心躍らせた。
相手はリオと名乗っていた。
自分より少し身長が高いようだったが、そんな小さなことは気にする男ではなかった。美しい
女性
を連れて歩くのは、自慢になる。
自分から相手に惹かれることは、滅多になかった。相手が潤一に惹かれ、言い寄られることがほとんど。
女性は大好きだったから、断る理由はどこにもない。恋人が何人もいることはザラだった。だけど、彼女らを本当に愛していたかと聞かれたら、微妙なところだ。
それが今回、一気に潤一の心を射止めたのだから、相当のものだろう。
リオは、潤一が経営する『らーめん屋じゅんじゅん』にやってきた。弟子の
小此木敦貴の恋人、
仲谷皇祐と共に。
恋人の来訪に敦貴は、子どものように、はしゃいでいた。
仕事中に騒いでいることを注意しても良かったが、あまりにも嬉しそうにしているし、運命の相手のリオに好印象を与えたくて、そこはぐっと堪えた。
敦貴の恋人は男性だ。皇祐の姿は、その時初めて見たのだが、随分と身体が小さく、可愛らしい印象を受けた。
敦貴が口癖のように「コウちゃんは、可愛いの」と何度も言うのも頷ける。それでも、男性が恋人というのは、理解できなかった。
しかし、そのことについてとやかく言うつもりはない。ただ一つだけ心配なのは、恋人の皇祐が、身体を売る仕事をしていることだった。
敦貴は何も不安視していなかったが、どう考えても、自分の恋人が他の人の相手をしていることを許す方がどうかしている。何度か忠告してみたものの、敦貴は機嫌を悪くするだけだった。
「潤ちゃんだって、たくさんの女とやってるじゃん!」
確かに潤一は、特定の彼女は作らず、複数の女性と関係を持っている。人のことは言えない状況だ。
だが、自分を比較対象にされては困る。それを仕事にしている皇祐と、彼女がたくさんいる潤一とでは、次元が違うのではないか。
身体を売る仕事をしているということは、相手がどんな人だろうとも構わないということだ。好き、嫌いは関係ない。
女性と寝ることが好きな潤一でさえ、苦手だと思う相手とは一線を超えたりはしないのだ。一緒にされては癪に障る。
その仕事を軽蔑するわけではないが、恋人の仕事となれば、話は別ではないのか。
それでも最終的に決めるのは、敦貴自身だ。だから、これ以上は何も言わないでおくことにした。
今、大切なことは、リオとの距離をどう縮めるか、ということだ。潤一は、そのことで頭がいっぱいになっていた。
久しぶりの胸のときめきに、自分でも驚くぐらいだ。こんな気持ちが、まだ自分の中に残っていたことが、少しだけ喜ばしく感じる。
だが、それは、ほんのいっときの幸せだった。
敦貴が仕事をしないで、いつまでも恋人と騒いでいるから、気になってそちらに視線を移した。
いい加減、注意した方が良さそうだ。そう思って敦貴の名前を呼ぼうとしたその時、視界に入ったリオに対して、違和感を覚えた。
あまりにも見た目が好みのタイプだったから、さっきは気づかなかったようだ。でも、今なら、はっきりとわかる。
――リオは、男性だ。
鈍器で殴られたような衝撃が、身体を突き抜けた。幸せの絶頂から突き落とされた気分だ。
たぶん、リオが男性だというのは、普通ならわからないはずだ。潤一も、最初は気づかなかったのだから。
どうして男性だとわかったのかと聞かれたら、説明はできない。でも、女性ではないということだけは断定できた。
そして、更なる不安が頭を過ぎった。
男性で、皇祐と一緒に来たということは、友人というよりは、仕事仲間の可能性の方が高い。
リオもきっと、身体を売る仕事をしているのだろう。
「潤ちゃん、注文いい? うす塩、味噌、スペシャル醤油一つずつ。オレ、ネギ切るね」
敦貴は、口元に幸せそうな笑みを零しながら言った。それすらも、何だか不愉快に感じた。
仕事中に、ほんの少し客と話をしていただけで、彼は何も悪いことはしていない。
感情をコントロールできなかった。
だからなのだろう。つい八つ当たりのように、敦貴の恋人である皇祐に対しても、嫌味な言い方をしてしまった。
「あまり敦貴を惑わさないでね」
皇祐は、困ったような顔をしていた。
せっかくラーメンを食べにやってきたというのに、ひどい仕打ちだ。それでも、胸は痛まなかった。可愛がっている敦貴が悲しまないように、もっと直接的な言い方をしても良かったと思ったぐらいだ。
理由がどうであれ、身体を売る仕事をしていることが気に食わない。敦貴と付き合うことを決めたのなら、きっぱり辞めるべきだ。
自分でもよくわからない怒りが、ふつふつと湧いていた。そこに、リオが話に加わってきたから、事態は急変する。
「あら、お兄さん、いい男ね」
声まで美しいと感じた。艶のある透き通った声が心地よい。しかも、リオは自分に興味を抱いている。お互いに惹かれ合っているなんて、キセキのようなもの。
ただしこれは、相手が女性だったらの話だ。
誰に対しての苛々なのか、わからなかった。だが、その時、苛立ちは頂点に達したのだ。
「ありがとう、女性に言われるのは嬉しいよ」
女性を口説く時に向ける、極上な笑顔で答えた。ここで止めておけば良かったのに、言葉を続けてしまう。
「だけど、オネエに言われても虫唾が走る」
リオの表情が凍りつく。
言ってはいけない言葉を口にしていたことは、自覚していた。
「何言ってんの? 潤ちゃん」
隣にいた敦貴が、不安そうな声を出して肩をぽんぽんと叩いてきたが、反応しなかった。
突然、その場でリオが立ち上がり、椅子が大きな音を立てて倒れた。
冷たい視線をこちらに向けてくる。
友人である皇祐が、リオを落ち着かせようとしていたが、無駄に終わった。
「ごめん、コウ。この、顔だけの男と同じ空気吸いたくないわ」
鋭く睨まれ、リオは怒りでテーブルを叩いた。その音は、店内に大きく響き渡る。そしてすぐに、ラーメンも食べずに店から出て行った。場の雰囲気は最悪だった。
潤一は、気にしていないふりをして、リオに出したラーメンを下げる。
「ありがとうございました」
たとえ、自分を褒めた相手がオネエだとしても、それはとても嬉しいことだ。さっきだって、本当は嫌な気分はしていなかった。
ただ、なぜリオは女性じゃないのか。そのことだけが、頭の中をぐるぐると渦巻いていて、どうしようもない思いに絡み取られそうになっていた。
あんなこと言うつもりはなかった。自分でも理解できない苛立ちをぶつけただけ。
そのために、リオを深く傷つけてしまったのだ。
*
リオとは、二度と会えないだろう。そう思っていた矢先だった。リオがラーメン屋にやってきたのは。
その日、閉店の時間が来て、のれんを片づけた後、店の扉が開いた。
「申し訳ありません、もう閉店なんですが」
入口の方を振り向けば、そこにはリオの姿があった。すごく不機嫌そうな顔をして、リオは答える。
「知ってるわ。ラーメン食べに来たわけじゃないから。アツキくんいる?」
リオが店にやってきたのは、敦貴に用があるからのようだ。少しがっかりしながら、奥にいた敦貴を呼んだ。
「アツキ、お客さんだよ」
「えー、だーれ?」
面倒くさそうに答えて、敦貴は店の方に出てくる。リオの顔を見るなり、しばらく考え込んでいた。きっと、誰なのか思い出せないのだろう。
説明してあげようかと迷っていれば、リオが口を開いた。
「アツキくん、仕事終わった? コウのことで話があるんだけど」
恋人の皇祐の名前が出た途端、敦貴は、ぱっと表情を明るくさせた。
「あ、コウちゃんの!」
「そこのカフェでパフェおごってあげるから、ちょっと来て」
「え? パフェ? 行く、行くー」
恋人の知り合いとはいえ、たいして知りもしない相手に、簡単について行こうとする敦貴に不安を覚えた。
「おい、アツキ」
「潤ちゃん、先上がるねー、お疲れー」
敦貴は、満面の笑みで顔をくしゃくしゃにしながら、こちらに手を振った。そして、リオと共に、店を出て行く。
パフェで釣るなんて、敦貴のことを知り尽くしているからできる技だ。話があるとだけ言っても、敦貴はついて行かないだろう。
潤一が思っているよりも、リオは頭の回転が良く、更には、友だち想いの優しい性格ということが窺えた。
現在、敦貴と皇祐の関係は、うまくいっていなかった。皇祐の仕事のことで二人は揉めているのだ。
潤一は予想していたことだから、驚きはしなかった。
敦貴にも忠告していたが、聞く耳を持たなかったせいで、今は傷つき、落ち込んでいる。
先ほどは、パフェが食べられることで元気になっていたが、敦貴も、皇祐と別れる方向で考えているようだった。
潤一の中では、それはいい決断だと思っていた。このまま、我慢して付き合っていても、絶対に幸せにはなれない。普通に女性と付き合う方が、未来は明るい。
しかし、敦貴の恋人である皇祐の方も、いろいろと悩んでいるのかもしれない。だからリオが心配して、二人の仲を取り持とうと、敦貴のところやってきたのだろう。
他人のことよりも、自分の幸せを優先させればいいのに。リオも身体を売る仕事をしているということは、それなりに事情があるはずなのだから。
潤一は、そうぼんやりと考えるのだった。