触れてしまえば、もう二度と

15

1ページ/1ページ




「すげえ、ごちそうだな……どしたの、これ」

「お祝いです。矢神さんが二年の担任になるので」



 遠野はにこやかに、大皿に乗ったサラダや揚げ物などを次から次へとテーブルに運ぶ。

 

「お祝いって、祝うことでもないだろ。それに担任に就くのは二学期からだよ」



 大げさすぎる遠野の行いに若干呆れていれば、子どものように目を輝かせて満面な笑みを浮かべる。



「オレはすごく嬉しいですよ。同じ二年の担任で心強いです。頼りにしてますよ、矢神先生!」

「無理難題押し付けんなよ……」



 日向に会ってから、一週間が経っていた。

 矢神は、二年の担任を受け持つことを決意し、今日、正式に校長に話をしたのだ。

 校長は矢神の答えを聞いた後、すぐに職員室に足を進め、皆にそのことを報告した。職員室にいた教員は、なぜか拍手をし、ほっとしたような安堵の表情を浮かべていた。

 嘉村はというと、



「ここまで来るのに随分時間がかかりましたね。みんな、矢神先生の優柔不断さにやきもきしてましたよ」



 と、嫌味を並べた後、



「まあ、同じ二年の担任なんで、よろしくお願いします」



 そう、表情を変えずに言った。

 言い方はあまりいいものではなかったが、たぶん他の皆と同じく嘉村も、二年A組の担任がどうなるのかと心配していたのだろう。

 矢神の迷いが晴れたのは、日向と会って話をしたことが大きい。

 彼の笑顔を見た時、自分に何ができるかわからないけれど、もっと生徒の力になって皆を笑顔にしてやりたいと強く思った。そして、改めて教師という仕事が好きなんだと実感したのだ。

 単純だろうけど、人というのは何かのきっかけで、案外簡単に立ち直ることができるものなのかもしれない。



「これで生徒たちも安心してくれますね。榊原先生が辞めるって聞いた時、泣いている生徒もいましたから」

「だろうなあ。後任がオレだって聞いて、生徒が泣いたっていうのも聞いた」

「そんなことあるわけないじゃないですか」



 遠野の聞いたことのない真剣な声色に少し驚いた。



「あるんだよ。オレは榊原先生みたいに優しくないからね」



 まだ経験が少ないからなのか、榊原先生のように厳しい指導をしても受け止め方が全く違うのだ。



「矢神さんは優しいですよ。厳しくするのは、その人のことを思っているから厳しんですよね? オレ、知ってます」

「……あっそ」

「矢神さんのことあまり知らない生徒は、怖いっていうイメージがあるみたいですよね。でも、担任になったクラスの生徒は、矢神さんのことすごく慕ってますよ。日向くんとかもそうでした。矢神さん、一生懸命だから、それが伝わるんでしょうね」



 遠野のわかったような口ぶりに、少しだけ苛立ちを覚える。



「なあ、何でおまえ、オレのことそんなにわかるわけ? オレでもわかんないのに、勝手なこと言うな」

「え? それは……」



 急に照れたように俯き、「いつも見てますから」と小声で言った。

 危険な話題を振ってしまったと、思わず固まってしまった。

 おかしな雰囲気になる前に、話を変えなくてはいけない。

 咄嗟に誤魔化すように笑い、話を逸らしてみた。



「と、とにかく、飯にしようぜ。腹減った」

「そうですね」



 上手く話題が逸れたようで、再び遠野が皿を並べ始めたので、ほっとした。

 相手は男。それでも、好かれていることに悪い気はしなかった。

 この間のように抱きしめられたりするのはどうかと思うが、教師同士、普段通りの接し方ならば、何も問題はない。遠野の気持ちに対して、答えを出さないといけないわけでもないのだから。

 それどころか、今回の後任のことを決意できたのは、日向を説得した遠野のおかげと言っても過言ではなかった。

 日向が会いに来てくれなければ、勇気が持てず、たぶん後任を断っていただろう。もしかしたら、そのまま教師を辞めていたかもしれない。

 遠野が矢神のために動いたかどうかははっきりしないが、それでも結果的には遠野のおかげなのだ。

 お礼を言うべきではないだろうか。

 矢神はそのことをずっと考えていた。



「今日は鶏ごぼうの炊き込みご飯にしてみました」



 目の前に、ほかほかの炊き込みご飯が味噌汁と一緒に出された。

 この食事だって、矢神のことを思って作ってくれているのだ。とても有難い。

 矢神は一呼吸置き、意を決し言葉にすることにした。



「あの、ありが……」

「そうだ! 矢神さん、聞いてください!」

「と、え?」



 遠野がその場でじたばたと足踏みするように、大きなリアクションをしながら話し始める。



「さっき、ペルシャにご飯あげようと思ったら、頭を触らせてくれたんですよ! いつもはそんなことを絶対にさせてくれないのに。すごいと思いませんか? ペルシャもオレのことを認めてくれたってことですよね」



 大きな動作と勢いよく一気に喋る遠野に、唖然として思わずぽかんと口が開いてしまう。



「嬉しいなあ。これからもペルシャに気に入ってもらえるよう頑張りますよ、って、あれ? もしかして今、何か言いかけましたか?」

「……別に」



 タイミングを失い、気恥ずかしくてもう一度その言葉を口にすることはできなかった。

 遠野は全く気づいていないようで、矢神とは正反対に上機嫌のままだ。



「それじゃあ、冷めないうちにいただきましょう」

「いただきます」



 すっかり遠野のペースに乗せられている矢神だった。しかし、慣れなのだろうか、最近ではそれも、案外嫌なものではないなと思い始めていた。遠野の料理を食べていると温かい気持ちになって、いろいろ悩んで考えるのもバカらしい気がしてくるのだ。



「漬物もどうぞ」

「うん」



 もう少しだけ、このままでもいいかなって――。



「矢神さん、口にマヨネーズついてますよ」



 遠野が笑いながら腕を伸ばし、人差し指で矢神の口元のマヨネーズを掬った。そして、その指を咥えてちゅっと吸い、へへっと笑う。

 そのシーンがあることを連想させた。なぜか胸が熱くなるのを感じる。



「何か新婚――」

「そんなわけないっ!」



 遠野の言葉を遮るように、矢神は大声を出した。

 食事を作ってくれるこの状態が楽で、いくら心地よいからといって、馴染んではいけない。

 頭を抱えて唸るように声を上げれば、遠野が心配そうな声をかけてくる。



「矢神さん、大丈夫ですか?」



 このままでいいなんて思う方が間違っている。遠野に丸め込まれそうになっているだけだ。

 遠野はどうであれ、男同士でどうにかなるなんて考えは矢神の中にはないのだ。



「からしマヨネーズサラダ、辛かったかな。矢神さんの好きな甘い玉子焼きも作りました。こっちを食べてください」



 顔を上げれば、ふんわり微笑んだ遠野が、目の前にあったサラダと玉子焼きが乗った皿を交換した。

 サラダのことではないのに、遠野は勘違いしている。



「いいよ、サラダも食べる」



 奪い取るように皿を取り、サラダを無造作に頬張った。

 遠野に悪気はない。だからこそ、安易に心を許してはいけない。



「今度はもう少し辛味を抑えますね」



 あの一瞬、矢神は自分自身がわからなくなった。

 危なく戻ってこられない場所に行き着きそうになって、怖かったのだ。

 
 
 


モドル | ススム | モクジ | web拍手

Copyright (c) Sept Couleurs All rights reserved.