触れてしまえば、もう二度と
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家に着けば、ほっとしたのか、一気に疲れが出たらしく身体が重たく感じた。頭痛もする。
今夜は何もかも忘れて早く寝よう。
すぐにでも靴を脱いで家に入りたかったのだが、目の前にいる遠野が突っ立ったままだ。
そんなに広くない玄関に男二人でいたら、けっこう窮屈だった。
「おい、早く入れ」
催促するように背中をぐいっと押せば、遠野が切羽詰まったような声を出す。
「どうしよう……」
「何だ、忘れ物か?」
家に着いてから気づくなんて、どこか抜けている遠野らしい。
「取りに行かないとまずいのか?」
車を出してやった方がいいだろうかと考えていると、急に視界が暗くなる。そして、身体が包み込まれた。
遠野に抱きしめられていると認識するまで、そう時間がかからなかった。
「ちょっ、なに……」
「オレ、考えないようにしてたんですけど、頭の中ぐちゃぐちゃで」
泣いているんじゃないかというような切ない声で喋り、矢神の身体を玄関に押しつけるように、きつく抱きしめてきた。
「嘉村先生と矢神さんが……嫉妬でおかしくなりそうです……」
吐息が耳にかかり、遠野の指先が身体の線をなぞるように、背中から腰へと撫でていく。
「お、落ち着けって……」
何とか遠野の身体を離そうと、胸を押しやったがまるで意味がない。
「オレ、矢神さんが誰かに触れられるの、嫌です、辛いです……矢神さん……」
遠野の呼吸は乱れていて、服の上から身体をまさぐる遠野の手が激しくなっていった。
「……矢神さん……」
吐息と共に甘く何度も名前を呼ぶ。この場で何かされるのではないか。先ほどの恐怖が少しよみがえった。
「遠野!」
矢神が声を荒げれば、自分の行動にはっとしたように遠野は慌てて身体を離した。
「あ……ごめんなさい」
今にも泣きそうな表情で矢神を見つめた。その表情に胸が痛くなる。
「……夕食の準備しますね」
「ああ……」
遠野が部屋に入ったと同時に、矢神は力が抜けたようにその場に尻餅をついた。
「……びっくりした」
今まで一緒に住んでいていても、そんな素振りを見せないから気づかなかった。
いや、気づかないフリをしていたというのが正解かもしれない。
矢神も遠野も、お互い『遠野の告白』をなかったことにしていた。
職場でも家でも一緒なのだから、変に気を遣うよりはその方が楽だったからだ。
だけど、嘉村に嫉妬するということは、遠野の矢神への気持ちは今も続いていて、本気だということだ。
必死で気持ちを押し殺していたのだろうか。でも、だからといってどうすればいいのかもわからない。
気にするなと言われた以上、そういう気持ちはないとわざわざ伝えるのも酷な話だ。
それに、矢神自身が気まずくなるのは避けたかった。
遠野のいいところは、その後、何事もなかったように接してくれるところだろうか。
笑顔でオムライスを目の前に出してくれた。
矢神も、今日一日あったことは全て忘れたように振る舞った。
たぶんこれからも、こうやって同じ毎日が繰り返されるだけ。
遠野の作ったオムライスを一口食べれば、好みの味が広がり美味いと感じた。ふわふわとやわらかい卵が絶妙だ。
それなのに甘い卵が喉に引っかかるような気がして、上手く飲み込めなかった。
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