同人誌より一部掲載
アイドル天使 ユキ*ハル <試し読み1>
どこの番組も朝から同じ報道しか流さない。
テレビのチャンネルをリモコンで変えながら、新堂倖弥は、ため息をついてソファに寝転がった。
「こんなものか……」
報道内容は、人気アイドルグループSchatzを脱退した青年のニュースばかり。『人気絶頂なのになぜ!?』と騒がれている。自分のことは何一つ話題に上っていない。
倖弥は同じ日に、バンドL'AILE NOIREを脱退していた。
そんなには騒がれないだろうと予想はしていたが、もう少しくらいニュースになってもいいんじゃないかと軽く凹んでしまう。
レイル・ノワールは、人気のあるバンドグループだ。だが、倖弥自身はどうだったかというと、それはまた別の話になる。
ボーカルの倖弥は、歌唱力が評価されることはあっても、どちらかというと地味な感じだ。細身で小柄なせいもあってか、周りにいる長身のメンバーに埋もれがちだった。
それでもライブになれば、持ち前の歌唱力で会場のお客を引き込み、魅了させるのだが。
その倖弥が、なぜバンドを脱退したのか。表向きは脱退となっているが、本当のところは解雇である。
歌うことしかできない倖弥のことは、もう必要ないということだった。
これから先のことは、何も考えていない。というか、唐突すぎて何も考えられなかった。
普通の社会人として働けるかといったら、たぶん無理に近い。
現在、三十四歳の倖弥は、これまでバンドのボーカルとして歌うことしかしてこなかった。今さら別の仕事を探すのは困難な話だ。歌の仕事といっても、それもまた難しい状況だろう。
何だか涙が出てきそうになった。解雇を告げられた時には感じなかった悲しみが、今になって押し寄せる。
倖弥は、ソファの上で身体を小さく丸くさせ、腕で顔を隠した。
全てを失った自分。孤独と虚しさに襲われ、不安でいっぱいになる。
そんな時、玄関のチャイムが鳴った。
バンドをクビになり、職がなくなった自分に誰が訪ねてくるのか。友人だって、ほとんどいない。
身体を起こし、手の甲で涙を拭った。その間も、急かすように何度もチャイムが鳴る。
慌てて玄関に向かった。
「はい、今開けます」
玄関の扉を開けた途端、外にいた人物が詰め寄るように倖弥の両腕を掴んできた。
「ユキちゃん!」
「か、金井くん? どうしたの?」
その人物は、バンドの時にお世話になっていたマネージャーの金井だった。
「どうしたのはこっちのセリフです! 何でバンド抜けたんですか!? あのバンドで歌うのが好きだって言ってましたよね。もう、オレ、何が何だかわからなくて」
パーマのようなくせ毛の髪を両手でかきむしりながら、玄関の前で喚き散らした。
「まあ、いろいろあって」
倖弥は、誤魔化すように笑った。
「いろいろってなんですか!?」
探るように倖弥を凝視してくる。
このままでは、答えるまでしつこく追究してくるだろう。話を変えることにした。
「金井くんこそ、こんなところに来てて大丈夫? 聖二にまた怒られるよ」
「いいんです。辞めてきましたから」
唇を尖らせて言った金井は、倖弥の断りなく部屋に上り込む。
「え? 辞めたって……」
「だって、ユキちゃんが辞めたことに誰も触れないんですよ!」
「脱退したメンバーのことなんて、もうどうでもいいって思うのが普通だよ」
「冷たいですよ。オレは、ユキちゃんを尊敬しているんです。ユキちゃんがいないバンドなんて……」
ソファに座った途端、ショックというようにがっくりと肩の力を落とした。
「金井くんが辞めたらきっと困ると思うよ。仕事できるから、みんな頼りにしてた」
「困ればいいんですよ!」
倖弥の言葉に金井は、薄ら笑いを浮かべる。
「金井くん……顔が怖い……」
彼の本心を見た気がして若干引いていたが、金井は、構わず話を続ける。
「実はオレ、ある社長からマネージャーとして来てほしいって誘われてて。ずっと迷ってたんですけど、この機会に行くことに決めたんです」
「そうだったんだ。それなら仕方がないね」
「ユキちゃんは、どこの事務所に行くんですか? 次もバンドを? それともソロで?」
金井は倖弥が解雇になったことを知らない。次の仕事が決まっているから、バンドを辞めたと思っているのだろう。
倖弥は返答に困った。上手く誤魔化せばいいものの、何も思いつかない。
今まで倖弥をずっと見てきた金井だ。いつまで経っても答えが返ってこないことに、おかしいと感じるのはあたりまえだ。
「もしかして、次が決まってないのに辞めたんですか?」
「……うん、そうなんだよね、ハハハ」
笑って場を和ませるように明るく振る舞ったが、金井の表情は真剣そのもの。
まっすぐ倖弥を見たままポツリ言った。
「聖二さんと何かあったんですか?」
胸がちくりと痛んだ。
「何もないよ」
平静を装って、すぐ答えたつもりだったが、金井は何かを疑っている様子。
何もない――それは間違った答えじゃない。バンドを解雇になったことには、全く関係ないことだからだ。
「何もないならいいんですけど。それより、次の仕事どうするんですか?」
もう倖弥のマネージャーではないのに、心配してくれているようだ。金井はいつもそうだった。仕事以外のことでも、親身になって話を聞いてくれた。
「ありがとう。少しのんびりしながら、どこか働けそうなところを探すよ」
一人でやっていくのは厳しい。歌うことを諦めるしかないのかもしれない。
でも、自分のことを思ってくれている金井だからこそ、彼に心配をかけたくなかった。
「ユキちゃん、オレと一緒に行きませんか?」
「え?」
「今度オレが働く事務所の社長って、昔からお世話になっている知人なんです。ユキちゃんのことをお願いすれば、契約してもらえるかもしれません」
「そんな、僕なんか契約してもらえるわけないよ。金井くんの気持ちだけ受け取っておく」
有難い申し出だったが、恐れ多くて受けられるわけがなかった。自分は解雇になったのだ。どこに行っても『歌うことしかできない』と見られるような気がして怖かった。
「何言ってるんですか! あの超人気バンド、レイル・ノワールのボーカル、新堂倖弥ですよ。みんな喉から手が出るほど欲しいですって」
興奮気味に話す金井が、頼もしくもあり、嬉しくもあった。
「そんなこと言ってくれるの、金井くんだけだよ」
「そうとなれば、善は急げですよ! 行きましょう、ユキちゃん」
「え、ちょっと待って、本気なの?」
倖弥の手を引いて、そのまま連れて行こうとしたので焦った。
「あたりまえです! オレはユキちゃんと働けるならどんなことでもしますよ」
「わ、わかった。シャワー浴びてきちんとするから、待ってて」
「了解です」
敬礼するような格好をして金井は、嬉しそうに笑った。
それに釣られるように、倖弥も笑みを浮かべたのだった。
金井の知人とは、有名な宇都宮プロダクションの社長だった。
主に男性のアイドルグループを育ててデビューさせている。しかも、この事務所からデビューしたグループは必ずといっていいほど人気が出るのだ。そのせいか、この事務所に憧れている人も多いという。
金井が前もって、倖弥のことを社長に連絡をした。すると、『面談するから連れてきて』と快く了承してくれた。
こういうことは珍しいらしいので、金井は喜んでいた。
だが、倖弥を見た途端、社長の宇都宮が最初に言った一言はこれだ。
「地味で使いものにならん」
倖弥が何も喋らないうちから判断された。普段から黒い服装が多いから、そう見られても仕方がないが、そんなに地味なのかと暗い気持ちになる。
「ユキヤは地味じゃなくて、控えめなんです」
金井の言葉は、あまりフォローになっていない気もした。
「歌を聞いてください。彼の歌は素晴らしいんです。レイル・ノワールというバンドをご存知ありませんか? ユキヤの歌が支えていたと言っても過言ではないんです」
だが、力説する姿は、本当に頼もしかった。
「金井クン、気持ちはわかるけど、見た目が大事だから」
「見た目って……」
「彼には華やかさがない。第一印象は姿かたちだ。そこに魅力がなければ、次にはいかない。歌も聞いてもらえないということだ」
「歌を聞いてから、好きになってもらえることはありませんか?」
「あるかもしれない。だが、私の中にはない。それに、バンドを脱退したのも理解できない。なぜ辞める必要があった? 彼に問題があったから辞めたんじゃないのか」
「ユキヤはそんな人物ではありません!」
「金井くん、もういいよ……」
一方通行のやり取りに耐えられなくなって、金井の腕をつついて止めさせた。
宇都宮は、倖弥を受け入れる気はないのだろう。こんなに貶されているのに、頭を下げて事務所に入れてもらうのも何か違う気がする。そこまでして、この事務所で働きたくなかった。縁がなかったということで、潔く引くのが賢明だろう。
「ねえ、アンタも脱退したの?」
いきなり奥の部屋から青年がひょっこり顔を出した。
「ハル、おまえはいいからおとなしくしてろ」
「何か見たことあるんだよねー」
派手な服を着た金髪の青年は、ふらふらと倖弥と宇都宮の間に割って入ってきた。
二十代前半だろうか。整った顔をしている、いわゆるイケメンの彼は、この事務所のタレントなのだろう。
顎に手を置き、倖弥の顔をじっと見ながら首を傾げている。
「超人気バンド、レイル・ノワールのボーカルですよ。知らないんですか!」
金井が横で、自分のことのようにムキになって言った。
そのハルと呼ばれた青年は、何かを思い出したようにハッとする。
「レイル……あっ、知ってる、知ってる。オレ、あのバンドのボーカルの声、めちゃくちゃ好きなんだよね。エロくない? へえ、アンタだったんだ。何か、イメージ違うね」
上から下まで観察するように、じろじろと見られ、居たたまれなくなってくる。
もう帰りたい――今すぐにでもこの場を去りたかった。
契約をしてもらえないなら、いつまでもここにいても時間の無駄だ。帰るタイミングを窺っていれば、ハルがとんでもない発言をし始める。
「ねえ、ウーさん。オレ、この人と組みたい」
「はぁ!?」
宇都宮をはじめ、そこにいた全員が声をそろえて叫んだ。
「ハル、おまえは何を言ってるんだ」
特に宇都宮は、怒りを抑えるかのように声が震えていた。
「えー、だって、オレが一人で活動するのはダメだって言ったのウーさんじゃん。それならこの人と組めばいいだろ」
「だからって、なぜ突然そうなる。おまえはいつだってそうだ、後先考えないで行動を起こす……」
「考えてるよ。オレ、この人のこと気に入ったんだ。いいでしょ? ね? ね?」
いったいこの青年は何者なのだろう。社長のことをあだ名で呼び、それを咎めずに許しているということは相当だ。
宇都宮は、この『ハル』に弱みでも握られているのか。
「まあ、どっちにしろ、ユキヤクンをどうにかしないといけないしな」
その青年に比べ、倖弥はひどい言われようだ。
「社長、お願いします」
金井が頭を下げたと同時に、一緒にと促されたので、不本意ながらも頭を下げた。
宇都宮はしばらく唸りながら考えていたが、諦めたようにため息をついた。
「他でもない金井クンの頼みだ、ユキヤクンとは数か月だけ、様子見ということで契約させてもらう。その後の契約更新はユキヤクン次第だ」
「ありがとうございます」
あまり嬉しいものではなかったが、自分の状況からいってわがままは言っていられなかった。
「で、ウーさん、オレの意見はどうなったの? スルーなの?」
ハルは、宇都宮のスーツの袖をぐいぐい引っ張った。
「そうだな、二人でユニットを組んでみるか。ただし、期間限定だ」
流れるような会話に、思わず聞き逃すところだった。
「ちょっと待ってください。僕がこんな若い人と組むんですか? 無理があります」
「無理でも仕方がない。ユキヤクンを売り出すのは、私でも難しい。それなら、人気のあるハルを使うべきだろ? 元人気バンドのボーカルと人気アイドルグループ『シャッツ』にいたハルがユニットを組むなんて話題性十分だ」
そのグループ名は、なぜか聞き覚えがあった。アイドルグループなんて、ほとんど知らないのに。
すると、隣で金井が驚いたような高い声を上げた。
「ハルって、もしかして、今朝テレビで騒がれていた脱退騒動の『シャッツ』のハルなんですか!?」
「そうそう、オレだよ」
頭の後ろで手を組み、得意気な顔をしている。
そんな騒動を起こしている相手と組むなんて、目の前がくらくらした。決して嬉しいわけじゃない、ありえない状況だから、ショックで恐ろしくなったのだ。話題性としては十分すぎるだろう。
「まあ、二人で組むのはいいが……」
宇都宮は、倖弥とハルを見比べ、苦い表情をした。
「背丈や体型は似たような感じでバランスがいい。しかし、ハルの金髪にユキヤクンの黒髪がどうもしっくりこない」
倖弥の髪を無造作に触れながら、再び唸って考え込む。しばらくそうしていた後、急に納得したような顔をした。
「よし、君も金髪してきてくれないか」
「き、きんぱつ? そんな派手なことできません」
「だから君は地味なんだ。明日までどうにかしてきて」
隣にいた金井が、倖弥の肩をぽんと叩く。
「ユキちゃん、社長の命令は絶対です。頑張って金髪にしましょう」
「……そんな」
バンドを組んだ時から、レイル・ノワールのイメージカラーの黒髪にしていた。
それなのに、今さらこの年で金髪にするなんて、倖弥の性格上、無謀なことだった。
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