それでもあなたの傍に 04
あまりにも眠くて、一瞬意識を失いそうになった頃、タクシーが自宅の前に着いた。
だが、辿り着いたのはいいものの、意識がほとんどない矢神をタクシーから降ろすのも、部屋まで歩かせるのも大変だった。
やっとの思いで抱えた矢神を部屋のベッドに寝かす。
「矢神さん、着きましたよ。矢神さん」
何度か声をかけて起こしたが、全く反応してくれなかった。
このまま寝かせておくのもいいかもしれない。
部屋の灯りを消して部屋から出ようと思ったら、矢神が寝苦しそうにワイシャツの首元に手をかけて、そのまま動きが止まった。
遠野は部屋を出るのをやめ、矢神の傍に寄る。
「ネクタイ、緩めますよ」
矢神が苦しそうにしているので、遠野は矢神のネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを一つ外した。
窓から漏れる薄明かりの中、矢神の細い首筋が目に入った。
遠野は迷わず指をそっと這わせる。指先に触れた肌が思っていた以上に柔らかくて、ある感情を引き起こしていた。
そのままボタンを外していき、今度は鎖骨に触れた。
普段触れたくても触れられない場所に手が届く。
くっきりとしていてとても綺麗な鎖骨だ。
矢神が目を覚まさないことをいいことに、気づけば首筋に唇を落としていた。
唇で首筋に触れながら舌で舐める。鎖骨も舌で何度もなぞっていった。
これが矢神さんの味――。
いつもなら我慢できることが抑えられなくなっていた。
矢神の身体を起こし、緩んでいたネクタイを引っ張って取った。ワイシャツのボタンも全て外し、脱がして上半身裸にさせる。
遠野も自分の来ていたTシャツを焦るように脱いで、矢神を抱きしめた。
温もり、そして肌と肌が触れ合う感触を味わう。
矢神の身体は、細いというよりも薄いと感じた。
「矢神さん……」
背中を指で撫で擦る。矢神の肌はとても温かい。
ずっと触れたかった。自分の腕に抱きたかった。
感極まって涙が出そうになった。
一端身体を離し、矢神の唇に口付けしようとして、遠野は思い留まる。
キスは意識がある時にしたい――そんな乙女のようなことを考えていた。
再び矢神をベッドに寝かせて、脇腹から細い腰を掌で何度も擦る。
全く反応を示さない矢神をつまらないと感じた。
目を覚まされたら困るのに、気づいていないのも嫌だという。まるで矛盾していた。
遠野は矢神の腰の辺りに跨り、胸の突起に静かに触れてみる。指先で、ゆっくりと優しく弄った。
その行為が嫌だったのか、眠ったまま矢神が腕で胸を隠すような仕草をした。その腕を掴んで押さえつけ、弄るのを繰り返す。
突起は硬くなり、ぷっくりと勃ち上がった。
矢神の眉間には皺が寄っている。そのことに遠野はなぜか嬉しくなった。
自分が触ったことで反応してくれている。そのことに喜びを感じていた。
次は胸に顔を近づけ、舌先で弄ってみると、小さく呻くような声を上げた。
調子に乗るように、舌で突起の周りをじっとりと舐めたり、それを口に含んだりした。
その度に、矢神は身じろぎ嫌がるそぶりを見せるが、目は覚まさない。
口に含んで時折吸ってみれば、首を横に振りながら、悩ましい声と共に吐息を漏らした。
遠野は平静ではいられなくなっていた。
身体中が熱くなり、特に下半身に熱が集中しているのを感じていた。
意識がない矢神は、何をされているかわかっていないだろう。それでも、もっといろいろしてみたいと思ってしまう。
跨ったまま、硬くなってきた下半身を矢神の腰に押しつける。
既に、遠野の息はかなり上っていた。
下にも触れたい――。
頭の中は、そのことでいっぱいになる。
遠野は身体を下に移動させ、矢神のベルトに手をかけた。
逸る気持ちが遠野の手を震わせる。
何とかベルトを外し、チャックを下ろして、スラックスを引き下げた。
矢神は穏やかな表情をして眠ったままだ。気づかれていない。
少しだけ、少しだけなら――。
下着姿の矢神に、息が上がり呼吸が乱れる。
「矢神さん」
唱えるように何度も彼の名を呼べば、興奮が増した。
膝まで下げていたスラックスを足から外し、焦るように床に放り投げた。
途端、叫ぶような鳴き声が上り、遠野の身体がびくっと震える。
何事かと思えば、それは矢神が飼っている愛猫ペルシャの鳴き声だった。
放り投げたスラックスの近くで、毛を逆立てて尻尾を膨らませている。
スラックスを放り投げたことに驚いたのだろう。更に唸り声を上げ、かなり怒っている様子だ。
「ごめん、ペルシャ、そんなところにいると思わなくて」
遠野は、言い訳をして謝る。相手は猫なのだから放っておけばいいのに、動揺している証拠だ。
ペルシャは、大きい鳴き声を何度も上げる。
「静かにして、ペルシャ」
矢神が起きてしまうんじゃないかと遠野はベッドの上で慌てふためく。
しばらくして満足したのか、ペルシャがおとなしくなり、ぷいっと横を向き部屋から出て行った。
後に残るのは、ベッドの上で寝ている下着姿の矢神と、上半身裸の遠野である。
そんな矢神の姿を目にして、遠野は肩の力を落とし、項垂れた。
我に返り、自己嫌悪に陥ったのだ。自分のした行動に溜め息が漏れる。
「何やってるんだろう……」
矢神の隣で無造作に横になり、額に手を当てて目を瞑った。
酔っていたから、なんて言い訳にはならない。
一線を越えないでおこうとずっと自分に言い聞かせていたのに、危なくそれを越えようとしていた。
邪魔が入らなければ、最後までやっていたに違いない。
意識がない人を襲うなんて、杏が言っていた「縛って拘束する」よりも質が悪い。
好きな人がすぐ傍にいると、理性を保つのは並大抵のことじゃない。
それを実感したのだった。
*
遠野が目覚めると、窓から日が差し込んでいて、青空が見えた。
気持ち良さそうなとても良い天気だ。洗濯日和かもしれない。
布団干したいなあ。
そんなことを寝ぼけた頭で考えていると、矢神の声が耳に届く。
「おまえ、何で、オレのベッドにいるんだよ!」
遠野はハッとして勢いよく起き上がった。
昨夜、自分の部屋に戻ろうと思っていたのに、寝転んだせいか、そのまま矢神のベッドで眠ってしまったようだ。
「しかも、オレ裸だし……おまえ、何か、したのか……?」
矢神は動揺しながら、不信感を露わにした。声が震えている。
「えっと、あの……」
「はっきり言え!」
誤魔化すこともできたかもしれない。
何もなかった。酔っていたからここで眠ってしまった。ただ、それを伝えれば済んだだろう。
だけど、遠野の性格上、嘘をつくことはできなかった。
「あちこちキスして、触っちゃいました」
「なっ……!」
正直に言えば、矢神は言葉を失った。
当たり前のことだ。寝ている間にまさかそんなことされているとは思うわけがない。
遠野は、自分が悪いとわかっていた。だけど、何となく面白くなかった。
「でも、矢神さんが悪いです」
「は? 何でオレが悪いんだよ」
「だって、隙見せるから」
気にしないでと言ったのは、遠野自身だった。
それでも、気持ちを伝えて意識してもらえないのは、辛くて仕方がない。
好きになってもらわなくてもいい。嫌でもいいから、何らかの反応が欲しかった。
「何だよ、それ、意味わかんね。誰がいつ隙見せたよ。人のせいにするな!」
矢神は、心の底から呆れたような顔をした。
軽蔑されてしまう。
嫌われてしまう。
胸が切り刻まれるようにズキズキと痛んだ。
遠野は、ベッドから降りようとする矢神の腕を掴んで、身体を引き寄せた。そして、後ろから抱きしめる。
「ちょ、待てって……」
また何かされると思ったのか、矢神は慌てて遠野の腕から逃れようとしている。だが、逃がさないようぎゅっと胸に抱いた。
「くっついていたい」
「離せって!」
怒っている声を出しながら矢神が本気で暴れるので、遠野も本気で力を込めた。
軽蔑されたくない。
嫌われたくない。
ただ――。
「好きです」
矢神の耳元で静かに囁いた。
「それは、前に聞いた。いいから早く離せ!」
「好きです、矢神さん」
矢神を力強く抱きしめ、何度も唱えるように遠野は囁いた。
腕の中の矢神が、おとなしくなる。
「遠野……」
「矢神さんが大好きです」
傍にいられるだけでいいと思っていた。それだけで充分幸せだった。
だけど、それは初めのうちだけ。
受け入れてもらえないのはわかっている。だから、我慢して、考えないようにしてずっと堪えていた。
それなのに、どんどん気持ちが溢れ出てくる。
もう限界だった。
遠野の中で、不安が膨らんでいく。
関係が壊れるくらいなら、傷つけてしまうくらいなら、もう傍にはいない方がいいだろうか――。
END