それは、ただのキス

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それは、ただのキス10

 熱い風呂に入った後に、冷えた缶ビールとコンビニ弁当を食べる。食べ終われば、好きなことに時間を使い、あとはゆっくり眠るだけ。
 仕事で忙しい毎日を過ごしている身としては、至福の時。だが、誕生日に家で一人きり。とても虚しく感じた。
 最近はずっと、夜に一人で食事することはほとんどなかった。接待もそうだが、何もない日でも新美と一緒にいることは多かった。
 今までなら感じなかったはずだ。一人でいることがこんなにも落ち着かないなんて。
 ソファにごろりと横になった。おもむろに携帯を手に取り、弟の久雄にメールを送ってみる。
『今、家に一人でいる』
 きっと馬鹿にされるだろう。そんな風に思っていたが、すぐに返ってきたメールは、『ダチといるから、今日は行けねーぞ』と、案外優しいメールが届いて、無性に寂しくなった。
 初めから、新美と過ごすことなんて考えずに、いつもと同じく兄弟で過ごせば良かったのだ。そうすれば、こんな辛い思いを抱えなくて済んだはず。後悔だけが押し寄せてくる。
 再び、メールの着信音が鳴った。久雄からだ。
『近くのカラオケボックスにいるから早く来い!』
 言葉は乱暴だが、心配しているのが十分に伝わってきた。
 明日は、仕事が休みだ。多少帰りが遅くなったとしても支障はないから行っても良かったのだが、久雄に甘えているような気がして躊躇する。
 兄弟だから甘えてもいいのかもしれない。それでも、毎年行っていたことを止めたのは今井自身だ。随分都合が良すぎるだろう。
『カラオケはパス。疲れたから、もう寝る』
 寂しいと感じていることを悟られないように、久雄には、そうメールを返しておいた。
 その後しばらく経っても、久雄からの返信はなかったから、どうやら諦めたようだった。
 時刻は夜の十時を過ぎていた。今井にとって、寝るには早すぎる時間だ。たが、起きていてもいろんなことを考えてしまって苦しくなるだけ。それならさっさと眠ってしまった方が楽だろう。
 ちょうど読みかけの本があったのを思い出した今井は、テレビを消して、寝室に向かう。その時だった。玄関の扉をノックする音が聞こえてきたのは。
 久雄だとすぐにわかった。メールでは行けないと言っていたのに、驚かせるため何も知らせずここにやってきたのだろう。
 昔から久雄は、兄が困っていれば必ず助けに来てくれた。寂しい時には傍にいてくれた。それは、今井自身も弟に対してそうしてきたことだった。
 兄弟の有り難みを強く感じる。嬉しくて、知らず知らずのうちに顔がほころんでいた。
「おまえ、来る時は連絡を寄越せって言ってるだろ」
 声のトーンを押さえ、嬉しさを隠すように言いながら、玄関の扉を開けた。しかし、そこには思っていた人物はいなかった。
「誰か来るのかな?」
 頭上で声がした。見上げると、きっちり七三分けのヘアスタイルをした新美が立っている。
 今井は言葉を失い、ぽっかり口を開けたままだ。
「入ってもいいかな?」
「……なんで……」
「コーヒーが飲みたい」
「は?」
「お邪魔するよ」
 そう断りを入れ、新美が靴を脱いで玄関を上がる。
「おい、待て、娘の誕生会はどうした」
「無事に終わったよ。娘もすごく喜んでくれてね、嬉しそうに眠ったよ」
 振り返った新美は、和やかな笑顔で答えた。
「だから、何でここに!」
「この部屋は、前の部下が住んでたんだよ。だから知っていたんだ。はい、ケーキ。コンビニのだけどね」
 無造作にコンビニの袋を手渡され、つい受け取ってしまったが、問題は解決していなかった。
「そんなこと聞いてんじゃねぇよ」
「今井、コーヒーを淹れて」
 口元に笑みを漂わせながらも、命令とも取れるような、はっきりとした言い方に、今井は逆らえなくなる。
「ったく、何なんだよ」
 新美のわけのわからない行動は、いつものことだが、さすがに今回は動揺を隠せずにいた。
 何しにやってきたのか、全く理解ができない。
 とりあえず落ち着くためにも、今井はコーヒーの準備をする。
「オレのウチは、インスタントしかないぞ。アンタのところみたいな美味いコーヒーは期待するなよ」
 やかんでお湯を沸かしながら、適当なマグカップを探す。インスタントコーヒーの瓶を開ければ、二人分がやっと飲めるという感じの量しか残っていなかった。ストックはしていないから、新しい物はない。風味が落ちていないか不安になった。
「どうして教えてくれなかったんだ?」
 あたふたと慣れないことをしている今井の背後で、新美が残念そうに言うから怒りが湧いた。
「あ? 何でわざわざインスタントコーヒーしかないって宣言しないといけないんだよ」
 上司が家にやってくるとわかっていれば、コーヒーも準備していただろうし、家の中も片づけていた。今井は、部屋の中を散らかす方ではなかったが、仕事でずっと家に帰るのが遅かったから綺麗に片づいているとは到底言えない状態だった。
「っていうか、来るなら連絡を寄越せ」
 苛立ちをぶつければ、新美は静かに首を横に振る。
「教えて欲しかったのはコーヒーのことじゃない、君の誕生日のことだよ」
 予想していなかったことを言われ、一瞬、上手く言葉が出てこなくなった。どういう反応をすればいいのか頭で考えてみるが、すぐには思い浮かばず、今井は黙っていることしかできない。その間に、やかんの湯の沸く音が鳴り響き、コンロの火を止めた。
 息を吐き、冷静になってみるとよくわかる。この男に、そんなことを言われる筋合いはないのだと。 
「アンタに教えて、何になるっていうんだよ……」
 新美はいったい何がしたいのか、未だわからずにいた。今井の気持ちをわかっていて、わざと言っているのか。動揺する姿を見て、からかいたいだけなのか。更なる苛立ちが募っていく。
 コーヒーを飲んだらさっさと出て行け――そんなことを言ってやろうと今井は振り返った。こちらをまっすぐ見つめていた新美は、こぼれるような笑顔を向けてくる。
「間に合って良かったよ。今井、誕生日おめでとう」
 それは、お祝いの言葉。今までにも、たくさんの人からもらったことのある言葉だ。有難いけど、年齢を重ねるにつれて嬉しさは減っていった。
 でも、今は違う。新美がその言葉を口にしただけで、優しく包まれたように温かくなる。
 心の奥底にあった気持ちが、湧き出るように溢れてきた。これまでは欲望に堪えるよう努力していたのに、この時は打ち勝つことはできなかった。
 気づけば、行動を起こしていた。傍に近づいた今井は、新美の腕を強く引き、体勢を崩した瞬間、彼の唇を奪ったのだ。
 決して自分から口づけはしない。心に決めていたことだ。そうすることにより、気持ちを抑えていられたからだ。だけど、それは、もう無理なことだった。
 新美への想いを自覚していた。そんな時に優しくされたら、タガが外れてしまうのはあたりまえだ。
 いつも新美がしてくるような軽いキスとは違う。深く深く、彼を追い詰めるように口づけた。舌を割り入れ、全てを味わうように、口内で淫らに蠢かす。
 新美も、今井に合わせるように舌を絡めてきた。くちゅくちゅとお互いの唾液が混ざる音が、いやらしく響き渡る。
「んぅ……んっ」
 夢中だったから、鼻から甘い声が抜けても気にしない。初めて新美にキスされた時よりも、彼の意識がはっきりしている分、濃厚だった。身体中が熱くなり、目の前がくらくらしていた。
 もっと欲しい。新美の全てを知り尽くしたい。唇と舌を使い、貪るような激しい口づけを繰り返した。だが、ふと唇を離されて、新美と目が合った時、今井は我に返った。
 まずい――そう思って視線を逸らし、身体を離そうとしたが、新美はそれを許さなかった。
 今井を強く抱き寄せ、頭を優しく撫でてくる。高鳴る鼓動はどちらのものか、わからなかった。
 耳たぶに唇を寄せてきた。ふっと熱い吐息が耳元にかかる。
「今井」
 名前を呼ばれ、緊張が走った。続く言葉に、身体を強張らせていれば、新美がつぶやくように低い声を発した。
「寝室は?」
「……奥の部屋」
 何も考えずに反射的に答えれば、新美は今井を抱え上げて、奥へと足を進める。
「おい……」
 声をかけても反応せず、無表情のままだ。
 ベッドの前にたどり着き、そこに静かに下ろされた。ゆっくりと新美もベッドに上がってくる。軋む音が響き、鼓動が速まっていく。
 言葉を交わさず、お互い見つめ合うだけ。だが、次第に新美の方が、今井に重なるように寄り添ってきた。それと同時に腕を伸ばした今井は、彼の首に両手を回す。
 そして、再び唇を重ねるのだった。






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個人的な事情によりしばらく更新が滞るかもしれません。ごめんなさい。待ってていただけると嬉しいです。2014.12.20
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