同人誌 より一部掲載

好き、もっと伝えたい <試し読み>

 数か月前、仲谷皇祐なかたにこうすけは、男に身体を売る仕事をしていた。
 今は、そこを辞め、恋人の、小此木敦貴おこのぎあつきと北海道にいる。
 父親の借金から解放されただけじゃなく、好きな人とずっと一緒にいられるのだ。こんなに幸せなことはないだろう。
 最初は、楽しいことばかりを思い浮かべていた。だけど実際は、そんなに上手く事が運ぶわけがなかった。
 こちらに移り住むようになって、一ヶ月が過ぎた。
 敦貴は、ラーメン屋を営んでいた伯父から店を引き継いだのだが、店舗兼自宅はかなり古びていて、少し衝撃を受ける。敦貴も、そのことは予想外だったらしく、ひどく落胆していた。
 幼い頃に何度か遊びに来たことがあるくらいで、しばらく訪れていなかったという。何十年も経っているのだから、あたりまえのことだろう。
 開きにくい窓、閉まらない扉、床の軋む音。挙げていけばきりがない。
「ごめんね、コウちゃん……」
 肩を丸めた敦貴が、しょんぼりしながら謝ってくるから、皇祐は困ってしまった。
 彼の傍にいられるなら、どこだって構わないのだ。
 気恥ずかしくて口にはしなかったけど、心からそう思っていた。
 だが、敦貴の方は初めて持つ自分の店だ。理想とかけ離れていたのかもしれない。
「改装したら、どのくらいかかるんだろう」
 ある時、ぽつりと漏らした言葉が、皇祐の胸に突き刺さった。
 本来なら、お金を貯めてから自分の店を持ちたかったはず。それが、皇祐の借金を返すために、敦貴は貯金を叩いたのだ。
 しかし、実際には借金は返済済みということで、支払ったお金は戻ってきている。それなら、改装もできるのではないか。
 気持ちが高ぶった皇祐は、敦貴に詰め寄った。
「改装を検討したらいいんじゃないか? 自分の店を持つことが敦貴の夢だったんだから」
 だけど、即座に否定される。
「お金は使わないよ」
「あれから一ヶ月が過ぎた。今更、依田よださんも返せなんて言わないだろ」
「そんなのわかんないじゃん。あの人、何か普通じゃないもん。あとから、やっぱり支払えって言われたらどうするんだよ。コウちゃん、連れてかれちゃう。そんなのヤダし!」
 ぷうっと膨れっ面のまま、敦貴は店舗のある一階へと降りて行った。
 戻ってきたお金は、使わないことを決めていた。その理由は、皇祐のためだ。
 社長の依田には、借金の返済は完了していると言われていたが、いまいち信用に欠ける。
 敦貴の言うとおり、依田は普通じゃない。
 皇祐の父親は、会社経営に失敗して借金を作ってしまった。それを助けたのが依田だった。
 借金の正確な金額は聞いていなかった。だが、依田はいとも簡単にお金を支払ったのだ。
 彼の条件は、皇祐を自分の店 Strahlシャトラールで働かせるということだけだった。そこは男が男に身体を売る、売り専の店だ。
 依田にとってたいしたメリットがあるとは思えなかったが、彼はそれ以上のことは求めなかった。
 今回の件も、皇祐の借金返済が終わって店も辞めてしまったのだから、依田にとっては損失の方が大きいはず。何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。
 だから、敦貴の貯金には手をつけられなかった。いつでも対応ができるように、と。
 父親の借金や嫌な仕事からは解放されてはいたが、敦貴に迷惑をかけていることには変わらない。
 そのことが、皇祐を時おり苦しめるのだ。




 敦貴が店を引き継いだ後も、彼の伯父は心配だったのか、毎日手伝いに来てくれていた。
 皇祐も、彼の役に立とうと必死で努力する。作る側はできないにしても、接客や後片付けくらいなら手伝うことができた。
 だけど敦貴は、皇祐を必要としていないようだった。
「ああ、コウちゃんは、何もしなくていいよ。二階でゆっくりしてて」
 彼に背中を押され、さっさと二階へと追いやられてしまう。これはこの日だけのことではなかった。皇祐が手伝おうとすれば、必ず敦貴は同じことを言った。
 足手まといということか。
 ショックを受けた皇祐は、肩を落としながら言われるまま二階の自宅へ戻るしかない。彼の邪魔にだけはなりたくなかった。



 部屋に一人でいる時は、暇を持て余していた。たっぷり時間はあるのだから、好きなことをして過ごせばいい。
 それなのに、今さら何をすればいいのかなんて、すぐには思い浮かばなかった。
 店の手伝いができないのなら、他で仕事をするのもいいかもしれない。お金を稼ぐことができれば、店を改装して、敦貴の理想の店を持たせてあげることができる。
 そう安易に考え、求人情報誌を買ってはみたが、自分にできること、向いているものが何なのか検討がつかなかった。
 父親の借金のため大学を中退した皇祐は、その後すぐに仕事に就いた。身体を売る仕事だ。慣れるまでに相当の時間がかかった。嫌で嫌で仕方がない毎日。
 それでも、辞めることはできない。借金を返すために、必死に、無我夢中で続けるしかなかった。その他のことを考える余裕なんて、あるわけがない。
 大学生の頃までは、いろんな希望を持っていたはずだ。敦貴と同じように、夢を追いかけていたのかもしれない。
 今は、そんなことも思い出すことができずにいた。
 自分の存在が、ちっぽけなものだと実感する。絶望的な気分になった皇祐は、身体を丸めて顔を伏せるのだった。



 しばらく何もしない日々を過ごしていたが、仕事で疲れて帰ってくる敦貴に申し訳なくなり、せめて何かできないかと考えた。
 結果、食事を作って待っていることしか思いつかなかった。
 今まで、自炊なんてものはしてこなかったから、皇祐が作れるものなんて、たいしたものはない。
 簡単に作れそうなものをネットから拾ってきて、試してみた。
 野菜を切る、肉を焼く。ただそれだけのことでも、なかなかうまくいかなかった。炊いたご飯は水が多かったらしく、おかゆ状態だ。味噌汁は、味が濃すぎて飲めたものじゃない。
 今までは、何でもそつなくこなしてきた皇祐だった。敦貴ができるのだから自分もできるはずだと、そう思っていたところもあった。だが、料理は奥が深いと落ち込んでしまう。
「悪い、敦貴……」
「大丈夫、この肉、ちょっと硬いけど、おいしいよー」
 子どものようにはしゃぎながら、敦貴は笑って食べてくれる。だけど、皇祐が口にしても不味いものが、美味しいわけがなかった。
 食事が終わるのは、いつも夜遅くになる。二十一時までの営業後、片づけを終えて二階に上がってくるのは、二十二時近く。それから食事をするから仕方がないことだった。
 敦貴は、毎日疲れているのだろう。食べ終われば、一人で寝床に行ってしまう。
「じゃあ、コウちゃん、オレ先に寝るね」
「ああ、おやすみ」
「おやすみー」
 皇祐がベッドに潜り込む頃には、敦貴はぐっすり眠っている。全く起きる気配を見せなかった。
 そのまま何もしないで、朝がやってくる。それがお決まりのパターンになっていた。
 自分の店ともなれば、全てのことを敦貴がしなくてはいけない。今はまだ、彼の伯父が手伝ってはくれているが、慣れないことばかりで大変なのは、見ていてわかった。
 それでも恋人同士なのだから、少しくらい何かあってもいいのではないか。ベッドで一緒に眠っているのに、ここに住むようになってからは、ないに等しかった。
 そんな日が続けば、皇祐だって辛くなる。触れ合いがなさすぎて、寂しさのあまりトイレで自慰行為をすることだってあった。我慢する方法は、それしかない。
 敦貴は、平気なのだろうか。慌ただしくてそれどころじゃないだけなのか。それとも、男に触れるということに嫌悪感を抱き始めているのか。
 暗く重い気持ちに押し潰されそうだった。
 このまま沈んでいてもどうにもならないと思った皇祐は、ある夜、自分から誘ってみることにしたのだ。
 敦貴がバスルームから出てきたのを確認して、勇気を出して腰を上げた。
 まっすぐに冷蔵庫へと足を進める敦貴の目当ては、大好きなアイスだ。にんまりとした表情で中からアイス棒を取り出して、ぱくりと口に入れた。その瞬間、皇祐が敦貴の腕を、申し訳なさそうに掴んだ。
「敦貴、今夜いいか?」
 皇祐にとって、精一杯の誘い文句だった。
 今まではずっと敦貴のリードで事に及んでいたから、自らその言葉を口にするのは、身体中が熱くなるほど恥ずかしかった。
 彼を掴んでいる手が震えそうになる。心臓が激しい音を立てて鳴り響いていた。
 きっと敦貴は、気持ちを察してくれる。そう信じて彼の答えを待った。
 だけど、アイス棒を口から離した敦貴が、なぜか困惑したような顔をする。
「ああ、えっと……」
 一気に不安が押し寄せた。
「敦貴……?」
「ごめん。まだ仕込みが残ってるからさ、たぶん徹夜になる」
「え、でもさっき、今日はもう仕事は終わったって……」
「やらなきゃいけないこと思い出したの。ホント、ごめんね。コウちゃん、先に寝てて」
 再びアイス棒を咥えた敦貴は、そう言い残して慌てるように一階へと下りて行った。
「どうして……」
 現実を受け入れるのが怖かったが、今のは明らかに拒否された。敦貴の言動から、それはよくわかった。
 震える自分の両肩を抱いて、その場にしゃがみ込んだ。
 本当に仕事が残っていたのかもしれない。自分を励ますように、そう考える一方で、他の思いの方が頭の中を占めていく。
 飽きられてしまったのだろうか。
 皇祐に手を出さないことが、それを物語っていた。別の理由なんて思いつかない。
 なぜ彼は、はっきりと言わないのだろうか。自分からは言えないから、皇祐がここから出て行くのを待っているのか。
 敦貴が皇祐を必要としていないのなら、ここにいる意味がなくなってしまう。
 想像するだけで、息ができなくなるほど苦しくて、泣き叫びたくなるのだった。



 皇祐は、敦貴の本心を確かめることができずにいた。
 彼を失うことが怖いから、気づかないふりをしていたかった。
 敦貴が何も言わないうちは傍にいたい。だけど、幸せとは程遠い、闇に包まれているような日々だ。
 そんな時だった。久しぶりにテルから電話がかかってきたのは。
『コウくん、お久しぶりです。そちらの生活はどうですか?』
 仁科輝明にしなてるあき、彼は、Strahlの店で一緒に働いていた仲間だ。同じ年齢ということもあって、共に行動することが多かった。
「ああ、楽しいよ」
 テルに返した言葉は、違和感しかなかった。最近は、楽しいなんてこと微塵も感じていないからだ。
『そのわりには、声が元気ないですね』
「そうか?」
『うまくいってないんですか?』
「……」
 図星だったために、すぐに反応できなかった。嘘でもいいから何か言えばいいのに、根が正直だからそれができないのだ。
『そうだと思いました』
「まだ、何も言ってないだろ」
 テルは、喜怒哀楽が薄いタイプだ。だから、本心なのか冗談なのか、いつも困難を極めていた。
 それが今は、電話越しの声を聴くことしかできないのだ。余計に判断することはできないだろう。
『そちらでは、仕事は何してるんですか?』
「今、探してる……」
『そうなんですね。ちょうど良かった。店に戻ってきませんか?』
 テルの言葉に、耳を疑った。
「何、言ってるんだ?」
『店を辞めてからも、コウくんを指名するお客さんがたくさんいて困ってるんです』
 いつもの真顔で言うテルの冗談だとわかっていたが、皇祐はすぐに反論した。
「僕は今、北海道にいるんだぞ」
『知ってますよ。社長の依田さんは、週末だけでもいいって言ってました』
「……依田さんが?」
 彼の名前が出てきて、テルの独断ではないことを理解する。嫌な予感しかしなかった。
『北海道からの交通費は負担してくれるそうです。あと、給料も以前より上げるって、VIP待遇ですよ。美味しい話じゃありませんか?』
「そう言ってくれるのは有難いけど、僕は――」
『今、つまらないんじゃないですか?』
「え?」
『今までは、借金を返すために、身体を売ってひたすら働いていた。今は何もないですよね? ただ好きな人の傍にいるだけ。何も役に立たない』
「……僕の何がわかるっていうんだ」
 口から出た言葉は、自分でもびっくりするくらい低い声だった。怒りが声に現れていた。
『怒らないでください。ボクはコウくんが心配なだけです。返事はすぐじゃなくていいので、少し考えてもらえませんか?』
「……わかった」
 働くつもりはなかったのに、皇祐はその場で断ることができなかった。
『じゃあ、良い返事を期待してますね』
 テルは、弾むような声を出し、電話を切った。反射的に、皇祐は深いため息を吐く。
 テルの言っていることは、全て当たっている。自分が今、何のためにここにいるのか、わからなくなっていた。
 ましてや、敦貴に捨てられたら行くあてもない。夢も希望も何もない寂しい人生だ。
 敦貴の方は、伯父のラーメン屋を自分の店にするため、夢を叶えようと必死に頑張っているというのに。
 飽きられても仕方がないか。
 皇祐は、自分に苦笑するしかなかった。
 テルの話を受ければ、すぐにでもお金を稼ぐことができる。少なくとも、今よりは敦貴の役に立つことができるのだ。
 しかし、敦貴以外の男に身体を許すことは抵抗があった。仕事を辞めてから、随分経っているせいだろうか。
 それに、敦貴は反対するだろうから、働くのなら秘密にしなくてはいけない。
 そこまでする必要があるのかと聞かれたら、うまく答えられない。ただ、何もしないまま敦貴の傍にいても、意味がないということだけは理解していた。


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