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  第三章 <7>  


 遠野と会話することがなくなってから、どれくらい経っただろう。
 部活顧問で帰りが遅い遠野とは、必ず共に食事をしていたのに、ある時から食事は一人でして欲しいと言われた。
 時間が合わないのなら、各自のペースで過ごした方が負担にならなくて済む。
 だから、朝食と昼の弁当の準備もしばらく休むように伝えていた。


 一人だけの時間は久しぶりで、気兼ねなく過ごせるから快適ではあった。だが、すぐに何か物足りなく感じる。
 遠野自身は、帰りにどこかに寄ってきているのか、矢神が起きている時には帰宅せず、夜はほとんど顔を合わせることがなくなった。朝になると、当の本人は早く家を出ているようで彼の姿はない。
 どんなに時間がなくても食事はきちんとする遠野だったが、これだけ家にいる時間が少ないと本当に食べているのか心配になった。
 そんなことを遠野に聞く機会もなく、学校でも業務連絡くらいしか話せていなかった。
 お互い忙しいから仕方がない。
 初めはそう思っていた。しかし、今まではたいした用がなくてもうるさいくらい声をかけてきていた遠野が、それを全くしなくなったことに気づく。
 家や職場で、まるで関わりたくないと言わんばかりの態度に、矢神は不審に思い始めた。
 ――避けられてるのか?


 
 
 
 思い当たる節はあった。
 遠野の知り合いである依田に連絡したか気になった矢神は、その話題を出した。
「そういえば、おまえ、依田さんに連絡したのか?」
 あれからしばらく経っている。連絡がつかなくて困るからとお願いされたのだ。連絡してもらわないと、矢神の信用問題にもなる。そう感じていた。
 すると、聞こえなかったのか、遠野は返事をしないでリビングから出て行こうとする。
「おい、聞いてるのか? 依田さん困ってたからさ」
 再度言えば、振り向いた遠野がひどい形相で怒鳴ってきた。
「矢神さんには関係ないですよね!」
「はあ? なんだよ、その言い方。連絡してないのかよ」
「連絡するかしないかはオレが決めます」
「連絡したくない理由でもあるのか?」
「オレのことは放っておいてください!」
 ピシャリと言われ、遠野はそのまま部屋に篭ってしまった。
 矢神にとっては深い意味はなく何気なく言った言葉だったが、彼にとっては地雷だったらしい。
 それからだ。遠野との会話も、顔を合わす頻度も少なくなっていったのは。


 
 矢神を避けているだけなら、まだ良かった。
 遠野は、学校でも様子がおかしくなっていく。
 上の空なんて可愛い方で、ミスが多くて周りにも支障をきたすくらいだ。
 適当なところのある遠野だが、今までなら多少のミスをしても、その後のフォローを自分でして解決に導いていた。それを今はしないから、他の教師から文句が増えて最悪な状態になっている。
「遠野先生はいったい何してるんですか! 最近、あの人おかしいですよ!」
「私が代わりにやります。遠野先生には言っておきますので」
 遠野の後始末は矢神がなんとかしていた。だが、一緒に働く教師たちの不満は溜まる一方だ。
「大丈夫ですか? 書類が山積みですけど」
 遠野の机の前で慌ただしくしていた矢神に、声をかけてきたのは嘉村だった。人のことは気にしない嘉村も、さすがに遠野のことを心配しているようだ。
「研修旅行の資料、明日の会議で使うんだけど、遠野先生、まだまとめてないみたいなんだよ」
「矢神先生がまとめるんですか?」
「遠野先生、忙しそうだから」
「三者面談の日程、組み直さないといけないって言ってましたよね」
「ああ、そうだった。これ終わったらやります」
 山積みの資料の中から、目的のものを探すのは一苦労だ。前から整理をしておけと言っていたのに、全く行われていないことにガックリくる。
「本当に大丈夫なんですか?」
「忙しそうにしてるけど、部活の顧問も終われば、遠野先生も落ち着くと思いますよ」
「そうじゃなくて。史人あやとが大丈夫か聞いてるんだよ」
「え? オレ?」
「遠野先生の仕事ばかりやってますよね」
「ああ……うん、遠野先生、仕事追いついてないみたいで」
「矢神先生もですよね。人の仕事受けるから、自分の仕事進んでじゃないですか」
「まあ、そうなんだけど」
「本当、お人好しですよね。研修旅行の資料は私がまとめるので、矢神先生は自分の仕事してください」
 苛立つような言い方をしながらも嘉村は、遠野の机で山積みになっている資料に手をつける。
「悪い。助かる」
「遠野先生、ただ仕事が追いついてないってだけには見えないんですけど、何かあったんですか?」
「……何もないよ」
 そう言いながらも、そんなわけないよなと心の中でつぶやく。
 一番不自然だと感じているのは、遠野の顔から笑顔が消えたことだ。学校一親しみやすいと評判の遠野が、今では何を考えているかわからないと近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

「大ちゃん、どうしちゃったの?」
「体育の授業受けたくない」
「遠野先生のせいで他の教師の負担が増えるので邪魔なんですよね」
「教師のくせにチャラチャラしてると思ってたんですよ」

 生徒たちは不安がり、他の教師からは陰口を叩かれる。そういう声が矢神の耳にも複数入ってきていた。
 そんな状況に心配した校長は、矢神に様子を訊ねてくる。
「矢神先生は、遠野先生と同居されていますよね。最近、家ではどうですか」
 ほとんど顔を合わせていないのだから、わかるわけはないのだ。
「少し疲れているように感じますね」
 矢神は当たり障りのない回答をするしかなかった。
「やはり、部活の顧問が堪えているんでしょうか。担当の方のお休みも延長になってしまいましたから、負担が大きいのかもしれません。話を聞きたいと思ってるんですが、遠野先生は時間が取れないと言っていて」
 ――校長との話し合いを断るってどういうことだよ。
「部活のことは、遠野先生自身がやると言い出したことなので大丈夫だと思います」
「遠野先生、辞めてしまいませんよね。そういうことは口にしてませんか? 自分の中でどうしようもなくなって退職される先生も多いので心配しているんです」
 それはないと思いたいが、今の遠野なら、ふっといなくなってもおかしくはなさそうだ。
 仕事が限界に達しているのなら、他の教師と連携をとるべきなのだが、それもしない。
 ここまで遠野を変えてしまうなんて。何を考えているのか全くわからない状態にお手上げ気味だった。
「私も気をつけて様子をみていきます」
「矢神先生、頼りにしています。お願いしますね」

 


 校長に言われたからではなかったが、この状況をどうにかしたいと、矢神の方でも何度か遠野に声をかけてはいた。
「遠野先生、今、お時間いいですか?」
「すみません、忙しいのでまたの機会にしてください」
 学校の方が仕事と称して話をしやすいと踏んでいた。だが、こちらとは全く会話をする気がないようで、矢神と視線も合わせようともせず、毎回断られる始末。
 あからさまに避けられている状態に、矢神も怖気づいてしまう。
 強引にいった方がいいものか、普段と違う遠野に戸惑いを覚えていた。
 嫌われるようなことをしたかと考えてみるが、いまいちピンと来なかった。
 自惚れではない。嫌いになったのなら、矢神に対してだけそういう態度になるはずだからだ。
 それなら、教師の仕事が嫌になったのか。
 これは十分に考えられることだった。
 生徒が第一の教師の仕事は、重大な責任を負う想像よりもかなりハードな内容だ。
 精神を病んだり、校長の言うように追い詰められて退職してしまう人は後を絶たない。
 教師という仕事に慣れてきた今だからこそ、遠野も参っているのかもしれない。それならもっと歩み寄ってくれたら力になれるのに。
 そして、もう一つ考えられる理由は、やはり依田という人物だ。思い起こせば、彼と会った後くらいから遠野の様子がおかしくなっていった。
 矢神が彼の話題を出した時も、人にかみつくような態度で、そんな遠野は今まで見たことがない。
 遠野と依田との関係とは――。
 そこまで考えて、矢神は深いため息を吐いた。
 こうやって悶々としたところで、何も解決にはならない。意味のない行為だ。
 同居するようになって一緒にいる時間が多かったせいか、彼のことをわかっている気になっていた。
 矢神は遠野のことを何も知らない。知ろうともしなかったのだ。
 こちらに向き合ってくれる方法が思いつかず、途方に暮れていた。
 だが、遠野のことを聞ける人物が一人だけいたことを思い出す。
 昔からの知り合いだというBARを経営している杏だ。
 見た目や格好は女性そのものだが、れっきとした男性なのである。
 悪い人ではないが、話していると疲れてしまい、どちらかというと少し苦手のタイプではあった。だから、一人で会いに行くのは気が引ける。
 それでも今はそんなことを言っている場合ではなかった。
 自分より遠野のことを知っている人物なら、解決の糸口が見つかるかもしれない。
 矢神はわずかな希望を抱くのだった。
 


 
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