触れてしまえば、もう二度と

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  第一章 <3>  

「先生、おはようございます」
「おはよう……」
 いつもと変わりない朝。生徒たちが笑顔で登校している姿を見ると、普段なら清々しい気持ちになるのだが。
 矢神は、職員室に入って自分の席に着くなり、頭を抱えた。
 調子が悪い。
 最近、寝不足が続いていたから体調を崩していた。
 仕事が溜まって眠れないのとは少し違って、嫌な夢を見るから眠るのが恐かったのだ。
 教師の中でも矢神は、学校に来るのが早い方だった。職員室には数人の教師しかいない。こんな状態では生徒に示しがつかないと思いつつも、席でぼーっとしてしまう。
 今なら寝られそう。目を瞑れば、すぐに意識を失いそうだ。
 それでも次々と教師が出勤してくると、きりっと緩みがなくなるのが矢神である。
「おはようございまーす!」
 明るく元気な声で、元凶とも言える人物が職員室に入ってきた。派手な色のジャージに目が痛くなる。
 思わず、隠れるように身を縮ませた。
 その人物とは、一週間前、矢神に好きだと告白をしてきた遠野大稀である。
 女を同僚に取られたのを知られたと同時に、愛の告白を受けた。最初は遠野の冗談だと思っていたが、普段と違う彼の様子から本気だというのが感じられた。
 矢神は、相手が男という以前に告白をされるというシチュエーションに慣れていなかったため、どう対応していいか咄嗟に判断できなかった。
 動揺して口籠っていれば、遠野は抱き締めていた腕を緩めて、身体を離してくれた。そして、遠野は自分の前を歩き出す。
 矢神は何が何だかわからなかったが、とりあえず冷静になろうと思った。すると、遠野が振り返って笑顔で言ったのだ。
「気にしないでくださいね」
 その後は、何事もなかったように屋台に行き、ラーメンを食べて帰って来た。
 気にしないでくださいと言われて、その通りに普通できるものだろうか。気が付けば遠野のことばかり考えている。
 しかし、相手の方はというと、普段と何ら変わらない態度だ。意識している矢神の方がおかしく思えた。
 そもそも、自分を好きになるのが信じられなかった。
 遠野は性格が良いというか、調子よく誰とでも話せるから男女から好かれている。教師や生徒、親からも評判がいい。ルックスにスタイルもいいから、モテないわけがなかった。恋人も選び放題だろう。
 やはり冗談だったのか。
 最終的にいつも行き着くところはそこだった。
「おはようございます」
 気づけば、目の前に遠野が立っていてドキリとする。
「……おはよ」
 軽く挨拶をして、視線を俯かせた。意味もなく机の引き出しを開けてみたりして、無駄な動きをしてしまう。
 相手が普段通りなんだから、自分も普通でいないといけない。意識するな、と心の中で何度も言い聞かせた。
「相談なんですけど……」
「え、なに?」
 唐突に遠野が言い出したものだから、驚いて声が裏返りそうになった。
「生徒からこれをもらったんです」
 遠野は、何かのチケットを二枚手にしていた。
「……誘われたのか?」
「いえ、オレが行きたいって言ったら買ってくれて」
「おまえが生徒を誘ったのか!?」
「違いますよ! 人気の映画だって聞いたから個人的に行きたくて、そしたら生徒が代わりにチケットを買ってくれたんです」
「なんだ……びっくりさせるなよ……」
 遠野と喋っているとやはり頭が痛くなる。溜め息を吐きながら、こめかみを押さえた。
「で、相談って?」
「これ二枚あるんですけど、知り合いや友達がみんな都合悪くて行く相手がいないんです」
「は? だったら一人で行けばいいだろ」
「映画を一人で見に行くんですか?」
「どうしても見たかったら、オレは一人で行く」
「彼女は……あっ……」
 遠野はしまったというような顔をして、口を片手で押さえた。しばらく口を押さえたまま黙っていたが、その動作が余計に傷ついた。
「そんなこといちいちオレに相談するな!」
 腹が立ってきつい口調で言えば、一気に元気がなくなる。
「一人は寂しいです……」
 その姿は、まるで犬が耳を垂らしてしょんぼりしているように見えた。
「バカか……」
 付き合っていられないと授業の準備を始めるが、遠野は引き下がらなかった。
「矢神先生、一緒に行ってくれませんか?」
「なんでオレなんだよ」
 そのまま苛立ちをぶつけるように言えば、真剣な表情で身を乗り出してくる。
「一緒に行きたいからです」
「え……?」
「ダメですか?」
 この誘いに深い意味があるのか一瞬考えてしまう。
 断わっても良かったが、特別な思いで誘っているんだとしたら、断わるのは悪い気がした。
 矢神は遠野に特別な感情はない。恋人として付き合うということは、到底考えられないことだ。
 そんな矢神の気持ちをわかっていたから、遠野は気にしないでと言ったのだろう。
 それなら映画くらい一緒に行ってあげれば、彼の気持ちが報われるのではないか。いわゆる遠野に同情していたのだ。
「……他に行く奴いないのか?」
「はい」
「じゃあ、いいよ。映画は嫌いじゃないから」
「本当ですか?」
 ほっとしたように遠野が嬉しそうに笑ったから、釣られて笑みを浮かべそうになる。咳払いをして誤魔化した。
「いつがいいんだ?」
「今週の日曜日でもいいですか?」
「日曜か……夕方でもいいか?」
「大丈夫です。また近くなったら待ち合わせ場所とか決めましょうね」
 遠野の言い方のせいか、デートの約束をしているようで嫌だった。だが、喜んでいるから気にしないでおくことにした。






 そして、約束をしていた日曜日がやってくる。待ち合わせ場所は、映画館の現地集合。
 浮かれていると思われても嫌だったから時間ぎりぎりに着くと、先に遠野が来ていた。矢神の姿を見つけるなり、手を振って駆け寄ってくる。
「来てくれたんですね」
「……あたりまえだろ」
 そういう心配をするのは、遠野らしくないと感じた。普段見ていても悩みがなさそうに見えるから、不安に思うことがあることに驚きだ。
 学校で着てる派手なジャージで来るのではないかと疑念を抱いていたが、いくら遠野でもそんなことはなかった。
 パーカーにジーンズというラフな格好で、こういう方がいいのにと何気なく思う。
「上映時間は大丈夫か?」
「はい。ちょうどいいですよ」
 既に遠野が前売券を交換してくれていたから、ポップコーンと飲み物を買って中に入った。
 人気の作品というだけあって、けっこう席が埋まっていたのだが、不自然な光景だと感じた。それはほとんどが女性で、男性は自分たちくらいしか見かけなかったからだ。
「おい、遠野……オレ、何の作品か聞かなかったけど、どんな内容なんだ」
「時代物です」
「時代物?」
 女性に人気の作品なのだろうか、と首を傾げた。
 男性というだけでも浮いているというのに、男二人だと余計にそう感じる。何だかさっきから視線を感じ、見られているような気もした。
 背が高くて日本人離れした顔の遠野と一緒にいれば仕方がないとは思うが、さすがに居心地が悪い。映画に来てこんな風に感じたのは始めてだ。
 だが、上映が始まれば辺りも暗くなり、映画に集中するからそんなことも気にしなくなるだろう。
 そう思っていたのが間違いだと気づくのは、映画を観終わってからなのであった。

 

「びっくりしましたね」
 映画を観終わった後、呆気らかんと言う遠野の二の腕を矢神は思いっきり叩いた。
「なんだ、あれ!」
「あんな内容だったんですね」
「まさかおまえ、知らなかったのに見たいって言ったのか?」
「だって人気の映画だって聞いたから面白いのかなって」
 矢神は頭を抱えて、その場にしゃがみ込んだ。
「矢神さん、大丈夫ですか?」
 この男を信じた自分が馬鹿だった。
 映画が始まって三十分くらいが経った頃から、何かおかしいなとは感じてはいた。だが、最後まで観ないと評価はできない。きっと何か深い意味があるんだ。そう信じて疑わなかった。
 しかし、予感は的中。遠野の説明通り、内容は時代物なのは間違ってはいない。時代物の恋愛、しかも全て男同士なのだ。
 内容は全然頭に入ってこないし、クローズアップされるのは男同士のそういうシーンばかり。
 遠野が意識させるために、わざとこの作品を選んで自分に見せたのかと思った。上映中もずっと隣に座る遠野のことが気になって仕方がなかった。だが、知らなかったというのだから遠野の天然なのだろう。
 なぜ、この作品が人気で女性に受けるのか、全く理解できない。しかも、こんな内容の映画のチケットを生徒に買ってもらったというのも問題だ。
 頭の中がぐちゃぐちゃで整理がつかなかった。
「次はきちんと調べますから」
「もうおまえと映画なんか見るか!」
 振り回されるのは勘弁してほしい。
 その場を立ち上がり、駅に向かって足早に歩き出した。
 空は日が落ち、辺りが薄暗くなっていた。皆自宅に帰るのか、駅に向かう人たちで道が混み合っている。そんな中、遠野が駆け足で追いかけてきた。
「もう帰っちゃうんですか?」
「はぁ? あとどこに行くっていうんだよ!」
「お腹空きませんか? お詫びに食事をごちそうします」
「……お詫び?」
「つまらない映画に付き合わせてしまったので」
 そこまで言われると、こんなことで怒っている自分が子どもみたいに思えた。
 遠野は別に悪気があって誘ったわけではない。純粋に映画を一緒に観たかっただけなのだろう。
 歩みを止め、遠野と向き合った。
「腹、空いた……」
「ですよね。ここの近くに知り合いのお店があるんですが、そこでもいいですか?」
「……いいよ」
 どんな態度を取っても、遠野は笑顔を絶やさない。そんな姿勢を少し見習うべきだと思うのだった。




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