触れてしまえば、もう二度と * 番外編 *

モドル

大きいのがお好きですか?

 遠野は家で一人、クラスの生徒から受け取った大量のノートと格闘していた。それは生徒との交換日記だった。
 今のクラスが一年の時、遠野が初めて担任を受け持った。遠野の明るい性格のおかげか、生徒は気軽に話しかけてくれて、すぐに和気あいあいとした雰囲気になる。だけど、肝心なことは相談してもらえなかった。
 教師としてもっと生徒と向き合いたい。上手くコミュニケーションを取る方法がないかと悩んだ末、この交換日記を思いついたのだ。
 教師と生徒、一対一の交換日記。教師側の遠野からすれば、相手は何十人にもなるのだが。
 人数分のノートを準備し、交換日記を始めることを伝えて生徒に渡した。あまりいい反応は返ってこない。それでも、どんな些細なことでもいいからノートに何か書いて欲しいとお願いをした。しかし、遠野の思いは届かなかったらしく、誰一人として遠野のところにノートを持ってくる生徒はいなかった。
 他の先生にも「小学生じゃないんですからね」と笑われる始末。いい案だと思ったのに、振り出しに戻ってしまった。
「止めるつもりか?」
 しょげる遠野に声をかけたのは、矢神だった。
「高校生じゃ、交換日記なんて幼かったかなって……」
「そんなの関係ないだろ。遠野先生がいいと思ったんだから、途中で投げ出すなよ」
「そうなんですけど、生徒が書いてきてくれないので交換日記が始まらないんです」
「生徒が書いてこないなら、遠野先生からノートに書いて渡せばいいんじゃないの? 何書いていいのかわからないだけかもしれない」
 矢神の言葉にはっとする。ただ単に交換日記が嫌だから書いてこないんだとばかり思っていた。こちらから書けばいいのだ。どうしてそんな簡単なことが思いつかなかったのだろう。ノートを受け取ってくれたのだから、まだ可能性はある。諦めるにはまだ早いのだ。
「遠野先生? 聞いてます?」
 矢神は不服そうに眉を寄せている。
「矢神先生、ありがとうございます! オレ、生徒からノート回収して書いていこうと思います」
 嬉しくて思わず矢神の両手を握り締めたら、若干引いていた。
「……ああ、そう。頑張って」
「はい!」
 それからだった、全員ではないが、ちらちらとノートを持ってきてくれる生徒が増えたのは。
 そして二年になった今では、女子生徒はほとんど参加してくれて、内容も進路相談などの濃いものに変わっていった。
 男子生徒も、『こんな交換日記面倒』や『交換日記疲れる』と書いてきてくれるようになる。面倒で疲れるのに、日記を書いてくれる生徒が可愛く思えた。そんな日記にも遠野がきちんと返事を書くと、生徒もきちんと返してくれる。そこから少しずつ、コミュニケーションが取れるようになるのだ。
「あれ?」
 順調に交換日記の返事を書いていると、ペンがかすれ始めた。
「新しいのあったかな」
 鞄の中を確認して唖然とする。いつも持ち歩いているペンケースが入っていなかったからだ。学校でも家でも、そのペンケース一つだけで事が足りるため、家には筆記用具を置いていなかった。
「まいったな……」
 積まれたノートを見て、遠野は頭を掻いた。
 交換日記に参加する生徒が増えたのは嬉しいことだが、返事を書くのも大変になってくる。内容によっては、早めに返事してあげたいものもある。だから、この休日に全て終わらせるつもりで家に持って帰って来たのはいいが、ノートとペン一つだけを鞄に入れて、ペンケースは学校に置いてきてしまったのだ。
 今から学校に取りに行くのも時間の無駄のような気がした。近くのコンビニに買いに行くという手もあるが、一つだけ簡単な方法があった。それは、矢神から筆記用具を借りるということだ。
 しかし残念なことに、矢神は休日出勤で学校に行っていて家にはいない。しかも、きつく言われていることがある。
「オレがいない時は、勝手に部屋に入るなよ!」
 怒り顔の矢神が思い浮かぶ。それでも、入るなと言われると入りたくなるのが人間の心理だ。
 遠野は、矢神の部屋の扉の前にいた。
「筆記用具を借りるだけですからね」
 ごめんなさいと手を合わせてから、矢神の部屋の扉を開ける。
「おじゃまします」
 緊張しながらも、部屋に一歩足を踏み入れた。
 室内を見渡せば、散らかっている様子はなく、机の上は書類などが積み重なってはいるが、ベッドの上も矢神らしくきれいに整理されている。
「ここで寝てるんだ……矢神さんの匂いがする」
 部屋の空気をたくさん吸い込んで、満悦した。変態まがいの自分の行為に若干呆れそうにもなったが、気を取り直して筆記用具を探すことにした。
 部屋の扉の前には、いつの間にか猫のペルシャが座っていて、じっとこちらを見ている。まるで、何か悪さをするんじゃないかと見張っているようだ。
 噛みつかれないかと恐れつつも、ペン立てにあったペンを何本か手に取り、急いで部屋を出ようとした。慌てていたため、思いっきり机にぶつかってしまう。その拍子に積まれていた雑誌や書類が床に散らばった。
「うわあっ……」
 焦った遠野は、床に落ちた雑誌や書類を集めた。扉の前にいたペルシャが、ほらみろと言わんばかりに一鳴きして去って行く姿に悔しくなる。
「矢神さんに怒られる……順番大丈夫かな」
 泣きそうになりながら書類や雑誌を整えていると、ある雑誌に目が留まった。
 肌色率の高い表紙。それはグラビア雑誌だ。胸を強調した肌色のお姉さんが表紙を飾っている。そして、大きな文字で『巨乳特集』と書かれていた。女性のタイプなど詳しく聞いたことなかったが、矢神は胸が大きな女性が好みのようだ。
「そういえば、付き合っていた彼女も……」
 一度しか会ったことはない矢神の彼女が、どちらかというと胸が大きかったことを思い出す。
 女性には興味がないから印象に残る方ではないのだが、矢神の恋人ということで記憶が鮮明に残っていたようだ。ピンクや白の清楚な格好が似合う女性だった。笑顔で挨拶しながら、こういうのがタイプなのかと苦しくなった覚えがある。
「巨乳か……」
 遠野は落ち込まずにはいられなかった。深いため息を吐いて、机の上に積んだ雑誌の一番下に、それを隠すように置いた。



*

 



 夕食の後、コーヒーを淹れて、矢神の隣で過ごす。たいしたことではないのかもしれないが、遠野にとっては一番の幸せな時間だった。
 その日も、ソファに座る矢神の隣に座り、一緒になってテレビを見ていた。すると、矢神が嬉しそうに声を上げる。
「あ、この子、可愛いんだよな」
 二人で生活することに慣れてきたからなのか、矢神はこういうことを平気で言うようになった。今までは自分のことは一切言わなかったのに、すごい進歩だった。
 画面に映っているのは、最近よくテレビで見るタレントで、笑顔が可愛らしく、小柄で清純そうな女性だ。矢神のタイプが手に取るようにわかった。だが、一つだけ納得がいかない。
 聞くのもどうかと思ったが、矢神自身が話題に出してきたので、遠野は思い切って尋ねてみることにした。
「彼女、大きくないですよね」
「背低い方が可愛いだろ。おまえは背が高いから、物足りないかもしれないけど」
 気に障ったらしく、矢神は不満げな表情をした。だが、遠野が言いたかったのはそういうことではなかった。勘違いしているようなので、仕方がなくはっきり言う。
「そうじゃなくて、胸が」
「は? 何、おまえ、おっぱい大きい方が好きなの?」
「オレ、女性は別に……矢神さん、大きい方が好きなんですよね?」
「何で、オレなんだよ!」
 ここまで言っても矢神は認めない。とぼけられて、あまりいい気分がしなかった。怒られることを覚悟して、遠野は白状することにした。
「見ちゃったんです、部屋で」
「何を?」
「巨乳特集のグラビア雑誌……」
「グラビア?」
 矢神は遠野の言っていることがわかっていないようで、首を傾げた。しばらく黙って考えている様子だったが、その後すぐに何か思い出したような表情を見せる。そして、呆れたように口を開いた。
「あれは、オレのじゃないぞ」
「言い訳しなくても……巨乳好きでもいいじゃないですか」
 嫌味っぽい言い方になってしまった。だけど、仕方がない。こんなにも往生際の悪い人だとは思わなかったのだ。そこまでして知られたくないのかと腹立たしくさえ感じてしまう。
「言い訳じゃねーよ。この間、外の見回り中に生徒から没収したものだ。鞄の中入れ替える時に、部屋に置きっぱなしになってただけ」
「え? そうなんですか?」
「そうだよ。別にオレは、こだわりとかないし。小さくても……ていうか、おまえ、勝手に部屋入るなって言っただろ!」
「胸、なくてもいいんですか?」
 興奮のあまり、身を乗り出して聞いてしまった。
「ああ、うん……」
 遠野の剣幕に圧倒されたらしく、部屋に入ったことを怒るどころか、ソファの上で後ずさりしていた。
 矢神が巨乳好きじゃなくて良かった。遠野は心からホッとする。
 自分のことを矢神が好きになってくれるなんて思っていない。それでも、もし間違いで恋人同士になった時、彼が巨乳好きであれば、女性のようなやわらかい胸を持ち合わせていない遠野は、矢神を満足させることができない。そのことが心配だった。
 だが、こだわりがないと知った今、希望に満ち溢れていた。矢神を気持ち良くさせる自信があるのだ。
 あれもしてあげたい、これも好きかな。妄想は膨らむばかり。
 矢神の恋人になる確率がゼロに近いのは百も承知している。それなのにあらゆることを想像してしまうのは、性格なのでどうしようもならない。とにかく嬉しくて、頬が緩んでいた。
「何で、ニヤニヤしてんだよ。きもちわりい……」
 離れろと言わんばかりに、蹴るようにグイグイと足で押された。
「えへへへ、気持ち悪いですか?」
 足蹴にされても、それすら心地いいと感じる。矢神に何を言われても、何をされても、笑顔になれた。今は安心していられる。それほどまでに気になっていたことだったからだ。
 矢神と同性という時点で諦めるべきなのだろう。それでも、彼の好みに少しでも近づけますように、と遠野は願わずにはいられなかった。


END

 
2012.05.20
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