触れてしまえば、もう二度と * 番外編 *

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暑い夏の夜に 03

 花火会場へ向かうと、既に人だかりができていた。花火がよく見えそうな場所は、だいぶ前から確保されているようで、入る隙はない。後ろの方で立って見るのがベストのようだが、そこも混雑していて、思うように身動きが取れなかった。
「すごい人だぞ」
「本当ですね」
 祭りの会場よりもひどい。熱気で汗が流れ落ちてくる。
 どうせなら良い場所で見たかったが、こうなってしまえば花火が見えればラッキーといったところだろうか。
「もうこの辺でいいんじゃないか?」
 どんどん前に進もうとする遠野とは反対に、矢神は疲れ切っているような顔で諦めモードだ。
 身長が高いおかげで、遠野は辺りを見渡せた。だから、人と人の間が空いているところが、ある程度はわかった。
 だけど、このまま進んでいけば、今度は矢神と逸れてしまいそうな状態だった。
「矢神さん、こっち空いてますよ」
 無意識だった。遠野が矢神の手を掴んだのは。はぐれたら大変だという思いだけで、その行動に走ったのだ。
 手を繋ぎ、矢神を引っ張るようにしてそのまま移動した。
 それと同時に、最初の花火が上がった。辺りに響く大きな音と共に、花火が鮮やかに天を舞う。これでこそ夏という感じだ。
 しばらくその場に落ち着き、上がる花火を眺めていた。
 だが、一つだけ気になることがある。それは矢神と繋がった手だ。
 すぐに振り払われると思った手は、花火が上がっている間、ずっと矢神と繋がったままだ。
 矢神の手は、思っていた以上に華奢で柔らかい。触れている部分が、すごく熱いような気がした。
 意識したら急に、胸の鼓動が早くなる。幸せすぎて、どうにかなってしまいそうだった。
 手を繋いでいられるのは、遠野としては嬉しいことだ。だが、矢神はどう思っているのか。
 そっと、様子を窺うように隣に視線を移した。すると、矢神も遠野の方を見てくる。
 繋いでいる手のことを言えば、矢神はきっと、すぐに手を離すだろう。遠野は、その話題には触れないことにした。
「花火、きれいですね」
「……ああ」
 矢神の返事を聞いた後、視線を花火の方に戻した。繋いだ手はそのままだった。
 ――繋いでいてもいいってことかな。
 遠野は、気づかれないようにほっと息を吐く。
 花火を一緒に見られただけでもすごいことだ。それなのに、まさか矢神と手を繋いで見られるなんて、想像していなかった。
 こんなことは二度と訪れないだろう。この瞬間を大切にしたい。そしてこの時間が、少しでも長く続くように。





 花火大会は、一時間近く行われた。最後の十分間が見せ場で、夜空だけじゃなく辺り一面に、華やかな光が一気に放たれる。誰もが感動する場面だ。
 遠野と矢神はずっと手を繋いでいたが、花火が終わったと同時に大勢の人が移動し始め、その拍子に二人の手は離れたのだった。遠野の幸せな時間は終わる。
 時刻は夜の九時を過ぎていた。
 花火大会が終われば、客も帰宅する人が多い。花火の会場からお祭り会場に戻り、帰宅するという人の流れに逆らうことはできなかった。
 遠野は前を歩く矢神についていく形で歩いていた。
 お祭り会場に戻れば、出店も閉める準備をしている。
「射的できなかったですね」
 ふいに声をかければ、矢神が振り返り、わたあめの入った袋を掲げた。
「わたあめ買えたからいい」
 矢神のメインはわたあめだということに、遠野は再び吹き出しそうになった。
「じゃあ、そろそろ帰りますか?」
 満足げな矢神に向かって言えば、なぜか否定の答えが返ってくる。
「いや、まだ帰らない」
「何か買い忘れがありましたか?」
 一通り買ったように思えたが、まだやり残したことがあるのだろうか。そんな遠野の考えとは裏腹に、とんでもないことを言い始める。
「これから見回りするぞ。この花火見たら、興奮して調子に乗る奴もいるだろ」
「え? だって、今日は仕事じゃないのに」
「仕事じゃなくても、オレたちは生徒に指導する立場だろ。遊んでばかりいられないんだ」
 楽しんだ後は、きっちり仕事をする。矢神らしいと感じた。
「帰りたいなら、先に帰ってていいぞ」
 矢神と一緒に来て、帰る場所も一緒なのに、一人で帰るなんて、そんな寂しいことはしたくなかった。
「オレも見回りします」
「よし、あっちから行くぞ」
 矢神は見回りする方向を指差し、元気よく声をあげた。
 それから二人は、祭り会場に人がいなくなるまで、あちこち見回りをするのだった。





 遠野たちの学校の生徒は、自分たちの姿を見た途端、「帰りまーす」と言って、素直に帰宅していた。
 おかげで、この日を含め、三日間のお祭りは何事もなく無事幕を下ろした。
 見回り三日目の当番だった先生たちと別れた後、遠野と矢神も帰路を歩く。
 しかし、遠野の後ろを歩く矢神の様子が、何かおかしいのだ。距離はだいぶ離れ、歩くスピードもかなり遅かった。
 矢神の方を振り返った遠野は、歩みを止めて声をかける。
「矢神さん、どうしたんですか?」
「……いや」
 見回りの時のさっきまでの勢いはなくて、元気がなかった。疲れてしまったのだろうか。不思議に思っていれば、矢神が足を引きずるように歩いていることに気づく。
「もしかして、足痛いんですか?」
 遠野が慌てるように、傍に駆け寄った。
「……少し」
「見せてください」
 矢神の片方の足から下駄を脱がせば、鼻緒が当たって擦れたのか、足の指が赤くなっている。
「痛そうですね。歩いて帰れますか?」
「うん、何とか……」
 顔をしかめながら、矢神は頷く。
 慣れない下駄で、会場をあちこち歩き回ったからだろう。
 最後の見回りが一番堪えたと思うが、浴衣と下駄の姿で会場に行こうと言ったのは遠野だった。責任を感じてしまう。
「わかりました!」
 遠野は、矢神の目の前でしゃがんだまま背を見せた。
「おまえ、何してんの?」
 矢神の呆れ声が背に浴びせられた。遠野は気にせず、その格好のまま言う。
「オレが矢神さんを家まで背負っていきます」
「はぁ? バカか!」
 思いっきり怒鳴った矢神は、遠野をその場に置き去りにして、歩き出す。
「大丈夫ですよ、オレ、体力だけは自信あるんです」
 しゃがんだまま拳を上げて、遠野は答えた。それに対して、振り返った矢神が、不機嫌な顔を見せる。
「そういう問題じゃねーよ! 何でオレがおまえに背負われないといけないんだ」
「だって、足が痛いから」
「そんなところ生徒に見られてみろ、またバカにされるだろ!」
「もうみんな帰りましたよ」
「絶対に嫌だ!」
 背を向けた矢神は、再び歩き出す。だが、歩くスピードは遅かった。立ち上がった遠野が矢神に追いつくまで、あっという間だ。
「本当に大丈夫なんですか?」
 手を貸そうとしたが、いいよ、と振り払われる。
「おまえは先に帰ってろ。オレに付き合う必要ない」
 険しい表情で、矢神が言った。
「そんな、けが人を放っておくことなんてできません」
「けが人じゃねーよ。大げさだな」
 そうはいっても、歩き方が痛々しく、辛そうな表情をしている。心配するのは当たり前だ。
 だが、矢神を背負うことも叶わない。何もできない自分に、段々申し訳なってくる。
「……すみません」
 矢神の歩く速度に合わせながら、つい、謝罪の言葉を口にしてしまった。矢神は不満そうな顔をする。
「何で謝るんだよ。おまえのせいじゃないだろ」
「でも……」
「たいしたことないんだから、気にするな」
 今日、遠野が誘わなければ、矢神がこんな思いをすることはなかったはずだ。最終的に見回りまでしたのだから、休日にもなっていない。家でゆっくりしていれば、もっと休めたのではないのか。
 そんなことが遠野の頭の中を占めていた。
「矢神さん、リフレッシュできませんでしたよね」
「は?」
「何か、オレばかり楽しんじゃいました。お祭りに行って、花火を見て、見回りもしたけど、それも矢神さんと一緒だったからすごく楽しかったです。今日はありがとうございました。オレ、また明日からも頑張れそうです」
 お詫びも込めて、隣の矢神に笑顔を向ければ、急に歩みを止めた。
 足がよっぽど痛いのかと心配になる。
「矢神さん?」
 様子を窺おうと思ったら、矢神は顔を俯かせた。
「……」
 矢神の唇が微かに動き、何か喋ったように思えた。でも、上手く聞き取れない。
「え? 今、何て……」
 次の瞬間、矢神は顔を上げて前を向いて歩き出す。そして、遠野の方を向かずに大声を出したのだ。
「うるせー、早く帰るぞ」
 足を引きずるようにしながらも、ずんずんと力強く歩いていく。
「待ってください。足痛くないんですか?」
 遠野は、慌てて矢神の後を追った。手を貸そうとすれば、やっぱり振り払われてしまう。だけど、心が躍るような気分だった。
 今日は奇跡の日なのかもしれない。
 そんなことが頭に思い浮かぶ。なぜなら、遠野の聞き違いでなければ、さっき矢神は、「オレも」と確かに口にしたのだ。
 矢神も楽しんでくれて、少しでも息抜きになったのなら、こんな嬉しいことはなかった。
 彼は恋人ではない。だが、遠野は大好きな人の幸せを願っていた。矢神のために少しでも何かできれば、それだけで、今の遠野は幸せになれるのだ。
 ――また二人でどこかに出かけられるといいな。
 調子に乗ってそんなことを考えながら、矢神の隣で表情を緩めるのだった。



END


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